三週間見てなかったので

メールボックスがまた溢れてた。4日くらいから届いてない。


いい加減にしろ?ごもっとも。



てことでおニューなアドレス。→ereninumber5?yahoo.co.jp



ブログ畳むつもりだったから極力作りたくなかったんだけど、しょうがないかなーと。
このIDは馬鹿っぽくてなかなか気に入っている。

姿を隠すこと

先日街に出たとき、ふと思いついて十代の女の子向けに流行り物を扱っている服屋を覗いた。渋谷を歩いていても綺麗な女の子に会うことは稀だが、店の中で服を選んでいる女の子たちは皆美人で、特有のチリチリするような感覚を発散していた。


いわゆる恋愛熱心なタイプというのは男女共に現実には限られているが、彼女たちのようなタイプに共通する恐れの知らなさというものは、いったいどこから来るのかと思う。そして大概の場合、「語られる女性」はこの恐れを知らない型である。たとえ彼には違って見えていても、それは彼が愚かであるに過ぎない。
恐れを知っている女は、己の内を晒す事を、それが他に作用する事を無意識に恐れる。それはつまり、彼女は魅力的ではないということである。



純文学でもハードボイルドでも男性作家の書く女性像は、実はハーレクインロマンスで描かれる男性像とたいした違いがない。男性デザイナーが作る女性の服にも、その人間の持っている女性の理想像がしばしば反映されるが、しかしある種の女はその幻想を綺麗に纏ってみせる。そしてまた魅力的な女優は、幻の女を演じてみせる。


その女の能力をどう評価すべきだろうか?与えられた台詞であなたを誘惑する女性を、あなたはどう眺めるだろう。
たとえ誰が見ても醜い女でも、あなたはふと惹きつけられるかもしれない。ではあなたがその時感じたそれはどんなものか。



今あなたの見ているものは、あなたが見たいものでしかないかもしれない。結果残酷に裏切られたといって、なぜ最初から彼女が残酷であった事に気づかないのか。



優しい女に魅力などない。
あなたの見ている女など、今そこですれ違った彼女の姿ではない。