ドラえもんの抵抗勢力とは誰か?

ドラえもんの新主題歌、聞きましたか。僕はあれは「アリ」だと思います。今年のドラえもんの流れを大まかに見るに、各種ブログ等で「声優交代」に反対してた人はほとんど「主題歌変更」にも反対だったような印象でした。

とどのつまりドラえもん抵抗勢力は、実は「大山一神教」なのではないだろうか? 「ドラえもん改革」を阻む人は結局のところ彼ら彼女らのノスタルジィ精神と、現状維持がしたいだけなのではないか? それはドラえもんの魅力を消していき、未来に繋がらない行為ではないか?

現状維持をしたいというのも一定程度理解できる。しかし現状というのは、永遠には維持できぬものなのだ。大山のぶ代火の鳥を食べて永遠の命を保っているわけではない。人の能力は衰える。寿命もくる。しかし、原点たる原作の作品としてのドラえもんの魅力は、時代が変わってもそこにある。そこで、アニメが続いていくならば、演じる人が変わることはありうることだし、リフレッシュや新規ファン開拓のためにもなる。かたくなに反対し現状を肯定することは、アニメとしてのドラえもんが先細りしていくことに他ならない。

ここまで書いて思ったが、これは現在のプロ野球構造改革と同じではないか? 赤字経営の球団でも買収反対、合併反対と言うだけなら、プロ野球自体が滅びて終焉を迎えるだろう。それと同じことではないか? 大山ドラが維持されたとして、それがあと何十年も続くわけではないことは、誰の目にも明らかである。もちろん、現状維持派が最期まで付き添い、ドラえもんもろとも心中するというならその覚悟実にご立派であるとは思う。しかし、僕はドラえもんはそう簡単に死ぬコンテンツではないと思っているし、改革によって新たな魅力を引き出し、新しい次の世代にファンが出来るならば、どんどんやっていけばいいと思うのだ。

僕にとってのアニメとしてのドラえもんの声というのは、やはり大山のぶ代の声の印象が大きいであることは間違いない。しかし、大山のぶ代ドラえもんは、一体化しているわけではない。大山さん長い間ありがとうと言いたいし、水田わさびさんには頑張ってくださいと応援したい。ここしばらくで僕はずいぶん水田ドラにも慣れたし馴染んできた。少なくともドタバタしたギャグ作品には、若い声のほうが非常に良いと思う。

漫画家の誇りとは? 鳥山明のココロザシ

2ちゃんねる観測衛星:ドラゴンボール
http://blog.livedoor.jp/kuroemon21/archives/50163298.html
漫画家・鳥山明の志と誇りを見たり。最後のセリフは、輝くばかりにかっこいい。

あーでもソースどこなんだろう……。えっと、まあこの発言が真実である、という前提で書きますと、かつてマンガを読んでた世代が、どんどん大人になって、カネ持つようになって、その中でパチンコもするようになる人がいて、そのとき昔読んだマンガのキャラがパチンコで出てきてたら、懐かしさと面白さで、嬉しいとは思うんですよね。そういう側面は、まあ誇りとかとは無関係に、あると思うんです。需要といってもいいかもしれん。ハットリ君だってパチンコになる時代になってしまったんですよね。いいか悪いか、どうなんだろう。僕はパチンコしないですけど、やる立場であれば、マンガのキャラが出てきてたら面白いとは感じそうです。でもまあパチンコよりかマンガが圧倒的に好きなんで(比較にならねーわ)、基本的に漫画家への応援というのは、その漫画家の作品を読むことなんじゃないかなと思います。そしてパチンコへのキャラ提供を断る鳥山が、パチンコ大国の県に住んでいた(今は東京在住なんだろうか?ちょっとわかんない)というのはなんとも皮肉だなあ。