朝から曇り空。ここ2日程はいい天気の朝を迎えたけれど、今日辺りからまたすこし天気が落ち始めるのか知らん? 予報では今日も天気なんだけど、、。昔は天気も『天気予報』に頼ったりせずに、今までの知識総動員して、ここ数日間の天気を予想したものだけれど、、、そして俺もそのいくつかは覚えていたんだけれど、今はすっかり忘れてしまった。例えば、、、お月様が傘をさしていると明日は雨とか、、少し天気が悪くても西の空が明るいと、それ以上悪くならないか回復の兆しとか、、。今は朝コンピュータを立ち上げてさっさと予報を見たりする。^^;  当たっても当たらなくても、やっぱり『アテにする』。予報が当たらないと、少しばかり腹がたったりもする時があるけど、考えてみれば、明日の天気も予想できなくなっちまった俺が悪いってことなのよね。^^;

デジカメ修理はまだっ!!??

ハッキリ言って、、もーっ、限界っ。^^; 早くデジカメの修理が終わらないかなぁ〜。ほんとに、文字だけでしっかりとブログ作ってらっしゃる人には脱帽っ。これって難しいよね。特に俺みたく『言葉に鈍感』というか『ボキャブラリが貧弱』というか、、そんなヤツにとっては、文字でこのデカイが面を埋め尽くすってのは大変。ただ文字が並んでる、、例えば『これはテストです』のフレーズがずっと続いているなんてのは、もう、ハナっから論外だしね。^^;


デジカメの修理が終わるのを待ってる理由は他にもあって、、。俺は別の所でもブログを作ってるんだけれど、、えらそーーーにっ、、^^;、、、そこではどうしても写真が必要なんだよな。そこで俺は『読書感想文』を書いてますんですけどね、、ひひひっ。読んだ本を撮影して、ちょっと細工を施してアップしたりしてんのよ、、。^^; ここ数日で読み上げた本ってのも2冊ほどあって感想文を書きたいなって思ってるんですけどね、、。まぁ〜、文章だけ書いて、どっかへ置いておいて、写真が出来上がったらアップという手もあるんだけれど、最近じゃ、ここが忙しくて、そっちは週一ペースだから、そろそろ新しい記事を、とか、、、。^^; どうでもいい事なんだけど、、。もうしばらくかかりそうだから、気長に待つか、、。

 テスト成績順に予算枠

東京・足立区  小中学校、4段階に   東京都足立区教委は、区立小中学校に配分する07年度予算で、都と区の教委がそれぞれ実施している学力テストの成績に応じて各校の予算枠に差をつける方針を固めた。、、、、、『朝日新聞

思い切ったことをするものです。^^; なかなかここまでは出来ないけれど、公立学校でこういう試みがなされる、、、それも小学校や中学校で、、ってのは信じられないことですが、でも今の時代、、こんな思い切ったことも必要なんでしょうかね、、。いったい誰が言い出したことなのかわからないけれど、俺達世代、、 っていうか、、こんな大雑把な、個人を無視したような物言いがもーっ、いけないんだろうけれど、、、ちょっとびっくりするような提案ではあります。^^; 言葉を選んでいえば、俺は自分の学生時代を振り返ってみると、学問は『学問』 であって、それはどこともリンクしていなかったように思います。学問は人間性を高めるためのもので、決して企業のお役に立つ何かを学ぶものではなかったような、、、。数学も科学も、そもそもは学問的な興味や関心から始まっていて、企業のお役に立つために科学を、、いい就職をするために数学を、、というのではなかったような、、。 俺は数学が大の苦手で大嫌いだったけれど、ある日数学教師が『数学というのは、論理的な思考方法を学ぶものである。誰かと議論をする、誰かを説得する場合など、きちんと筋道を立てて話しが出来る、そうして、自分の意見に矛盾がないことを相手にわかりやすく伝えるための能力を、数学という学問を通じて学ぶのだ』といったんですよね。俺は、もーっ、いたく感動してしまって、すっかり数学が好きになりました。^^; あははっ、単純なヤツだとお笑いください、、って、、誰に言ってるのかよくわからないけど、、^^;、、 とにかく、数学ってのはそういうものだとわかってから、ちょっと頑張ってみたような気がします。でも俺が後悔してるのは、こんな数学教師に出会うのが遅すぎた事。ほほほっ。もっと早く出会ってこういう話を聞かされていたら、『何故こんな普段使わないようなものを勉強するのか、、』なんて、馬鹿なことは言わなかっただろうと思うんです。


なぜこんな事をするのかと言えば、、記事によると、『頑張った学校に報い、校長と教員の意欲を高める、云々』とあるんだけど、何故子供のテストの成績が上がったら、頑張った学校って事になるんでしょ?^^; 校長や教員の意欲を高めるのにどーして子供のテストの成績が必要なんでしょ? ^^; この辺りの感覚がチョットついていけないのよ、俺は、、。高校や大学ならばいざしらず、小学校よっ。^^; 小学校ですべき事はテストの成績でいい点を採ることではなくて、もっと大事なことがあるような気がするんだけどなぁ〜。小学校のテストの成績ってのは、あくまで教師が明日の授業の指針にする一つの資料のようなもので、子供の学力がそれで決まるってもんではないと思うんだけど、、。小学校のテストは、確かにテストを受けるのは子供だけど、試されているのは教師のはず。だから本来は、教師は自分でテストの問題を作成すべきなんだよなぁ〜。でも今はほとんどが業者テストのような気がするし、、。これでは子供を試してるってことだよね。こうなってくると、極端な話、学校はいらないって事になるんじゃないの?? だってこんなにコンピュータやネットが便利になれば、学校の存在価値ってどこに置くのかますますわからなくなるんじゃないのかな、、って思うんです。それにもっとひどいのは、校長や教員の意欲を高めるってのが狙いってところ。きつく言わせて貰えば、彼らの意欲を高めるために子供を利用するなんてことをせずに、もっと教育委員会が働けばいいんじゃないのかなって思うんですけどね。彼らの意欲を高めるって事は、つまり今は意欲がないってことで、それは教育委員会が全然働いてないってことで、、。そんなツケみたいなものを子供に背負わすなんて、教師のするこっちゃないですよねぇ〜。^^;


いったい全体、こんな事言い出すまでに、校長や教員の意欲を高めるためにどんな事をしてきたか知りたいものです。教員委員会としては、、これは絶対にやっちゃイケないことを、やろうと決定したんだから、ここまでに至るいきさつを是非しりたいものだと思います。


もう多くの人達が気づいていることだけれど、、あんなにいい大學を出て、誰よりも賢い人のはずなのに、普通の人達なら誰でもわかるような『善悪』が判らないひとっていますよね、、日本社会を動かしている人達の中に、、。^^; ある法律が制定されようとする時、その法律を書き表らわしたものを読んだりすると、非常に曖昧で、弾力を持たせた言葉遣いで、カッコよく言えばフレキシブルな感じだったりするよね。でも、その法律が制定された『趣旨』というのは立派で素晴らしいものなんだけれど、その『趣旨』がもっと広範囲に行き渡るように、決して『言い切らない』表現を用いているんだと思うんです。つまり『いい方向へ』拡大解釈される事を願ってそういう書き方をするものだと、俺はずっと思ってきたんだけれど、いい大學をお出になった人達の中には、そういう趣旨をしっかり無視して、、或いは自分の都合のいい解釈をしてしまう人っているようで、それが『正しくて賢いこと』だと勘違いしてる人もいるようで、、なんだか最近俺がヘンなのかなぁ〜って思うようになってきてるんですけど、、。^^; 例えば『人は人を殺してはイケない』ってのがあるとすると、きっと多くの人達は、この法律の趣旨は、勿論人は人を殺してはイケないし、無益な殺生は極力避けるべきだし、命は大切にしなきゃならないっていうことを言葉の外においているって解釈してると思うんです。でも中には、『人は人を殺してはいけない』んだから、人は猫を殺してもいいって事だよねって感じで解釈する人もいるみたいで、、。^^; はぁ〜いっ、確かにっ。そんなことどこにも書いてないもんっ。^^; でも、、これって正しいかしら??? 猫がいいなら犬もいいんだよねっ、って事になって、、あはは、最後は『人は人以外は殺してもよい』という解釈まで行き着いて、、、じゃあ『人』ってなにさって事になって、、クローンなんかが出てきた日にゃ、誰が『人』だかわからなくなって、、あははっ。一見こんな単純は話でさえ捻じ曲げようとすればどーにでも、、みたいになって、、。多くの人は、やっぱ、こりゃヘンだよって思うんだろうけど、、。小学校って、、そんな一番最初の大事な所を教える場所だと思いません?? ^^; それを理解するのが早くても遅くても、やっぱどーしても知っておいて貰わないと、今後ずっと尾を引くというか、、その考え方、感じ方がずっと大人になっても続いてしまうってところがあるから、テストの成績なんぞで予算編成してる場合かよっ、って思うんです。^^;


本当の狙いが『校長や教員の意欲を高め、、、』ってところにあるとしたら、これはきっと間違った方法だと思う。だから是非、再考をっ。、、、って俺がお願いしても、駄目なんでしょ、きっと、、。^^; 今の小学生や中学生って本当に大変。俺だったらとっくにグレますね。だはは。