魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著 善悪二元論を超えるためには、歴史を語り、具体的な解決処方を示さないといけない (2)

■「その先の物語を紡ぐこと」〜善悪二元論を超えるためには、具体的処方箋の描写がいる


この物語の根本的な柱は、何か?。

前回の記事で、このまおゆうの物語の革新・核心的な部分その1は、魔王と勇者が「その先の物語を紡ごうとした」ということだと書きました。


魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著  その先の物語〜次世代の物語類型のテンプレート (1)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/p4


「その先」というのは、これまで日本のエンターテイメントの基本形となっていた善悪二元的対立の果てに、「戦って戦って」その果てに何もない、と気づくという「終わり方のパターン」を超えている点を指摘しました。もっと即物的にいっても、構造も、まさに終わり「から」物語が始まっています。

ここのポイントは、エンターテイメントの業界、特にアニメーションや漫画などでは、バトルを描かないとスポンサー的な問題やそもそも若者・子どもに受けない、理解されないというマーケティングの問題があり、なかなかこの善悪二元的な対立をスタートにして中盤までを描くということ抜きに「人気が確保できない」という構造的問題から抜け出すのが難しい。しかし、ネットの、それも2ちゃんねるのスレッドというところで書かれたためもあったのでしょうが、あっさりその構造的問題点を超えてしまった、という部分が重要だと思います。通常の出版やアニメーションの企画では、これは通らなかったでしょう。

ああ、もう少し敷衍して説明すると、善悪二元論的な対立構造を「抜けだそう」「脱出しよう」とする時には、そのための「具体的な解決処方を示さない」と、いけないということを、ガンダムSEEDやディスティニーのケースを取り上げて、説明しました。この作品は、善悪の二元論的対立抗争を抜け出すためには、3つの政治勢力を登場させる必要があることなど、「構造」という点では、非常に素晴らしい作品でした。この作品自体が、善悪二元論的な「戦い続ける」という物語のあり方に、非常に批判的なありかたでした。その問題点の「告発」という背後の構造が、この作品を、支離滅裂で、キャラ萌えだけに特化したような意匠・表層に見えながらも、なかなか鋭い問いを投げかける作品に仕立てていました。同時に、『機動戦士ガンダム00』も同じです。

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「具体的な解決処方を示さないといけない」というのは、解決方法の処方箋を見せないと、物語が止まってしまうからです。ガンダムシートの失敗は、この解決方法が分からず、ひたすら「これ以上こんあことをしても仕方がない!」とただ叫ぶだけで、具体的な行動が全然なかった点です。とはいえ現代以降の時代設定にすると、非常に難しい。まおゆうが、成功したのは、これが中世から近世への移り変わりの物語であるという点で、それが歴史的に「なにがどうなったのかの現象について既にかなりの部分が分かっている」という現実の歴史の事実を持って流用していたためです。


ここでは、食料生産力の増大のために、馬鈴薯などの作物による食糧事情の改善や三圃式農業(three field system)からノーフォーク式農法への変更(=農業革命)、マスケット銃の登場による戦術理論の大幅な変化(=塹壕戦!第一次世界大戦!!)それに伴う国民軍の創出や、部族社会から連邦国家への議会の成立、国家による単独ナショナリズムから安全保障を軸とした国際均衡主義へなどなど、、、こういったことが物語に微細に織り込まれており、この作者が、ヨーロッパの歴史、近代国家の歴史の成立の歴史にとても知識を持っていることがうかがえます。仮に専門家でなくても、物語にこれを織り込める才能は、素晴らしい。


ここで重要なことは、中世を舞台にしたファンタジー系統の物語には、「具体的な解決処方を示さない」という要請に対して、案外実は書こうと思うとかけるのだ、ということが証明されたことです。なぜならば、「近代が成立していく物語」、「中世から近世にシフトしていく物語」というのは、歴史学の中でかなり解明されてきているので、ここをちゃんと勉強すれば、かなり面白い物語が描けると思うのです。まだまだここは金鉱だ、ということが、この「まおゆう」で証明されました。というのは、「そこまで」具体的な解決処方を描いているファンタジー小説や漫画って、ほとんどないからです。個人的には漫画では、おがきちかさんの『ランドリオール』や、小説ではケン・フォレットの『大聖堂』とかを思い出します。

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
大聖堂 (上) (SB文庫)


それと、ライトノベルヤマグチノボルさんが書いていた『ゼロの使い魔』なんかは、最初の方でピューリタン革命クロムウェルのエピソードを少し流用していて、えがったー。まぁこれはかなり緩いライトノベルなので、「このテーマ」を描く力はないと思いますが、それでも、「おおっ!」という気がしました。僕は、クロムウェルの話が、、、物語でぜひ見てみたいんですよ・・・。もうめちゃくちゃ思うんだけど・・・なんかないですかねぇ?あったら教えてください。

ちなみに、日本ではたぶんこのクロムウェルピューリタン革命の貴族が王を殺す!ということ(=議会の成立!)や、カソリックを否定して新しい宗教を起こす!(イギリス国教会の成立)とかは、かなり馴染みがないのですが、、、ここを利用しているファンタジーやドラマ、物語類型を見たことがまったくないんですが、「ここ」って凄まじい金鉱だと思うんだけどなー。「知られていない」ということは、これをそのままパクった物語を書いても、全然OKなわけだし。それに気づく人すらほとんどいないと思うんだけど、イギリスの歴史モノの読みモノとかでは、ここの話って凄まじい数の本が出ている、面白歴史なんですよねー。

なんでねーのかな?と思うんですが、たぶんヨーロッパではない地域では、なかなかそこまで「細かい」歴史リテラシーがないので、民衆に広まる力がないのでしょう。まぁ東洋の三国志や日本の忠臣蔵が、ヨーロッパで全く知られていないのと同じようなものでしょうね。日本では知らない人はいないくらいなのに。「知られていない」ということは、企画を通すのが難しい、ということですからね。マーケティングできないもん、仮に企画を出しても。イギリス国教会の成立とか、国王の愛人離婚問題から、国王が自暴自棄になって引き起こした話で・・・・えっと、カソリックは離婚を認めていないんで、この話って、物凄く重要な歴史の展開点なんだけど、起きた現実は、笑える面白話なんですよね。ああ、このへんのヨーロッパにおける離婚問題の重さは、佐藤賢一さんの傑作『王妃の離婚』を読むと凄くよくわかります。これ最高です。中世の話を面白い小説群は、やっぱ佐藤賢一さんかなー。『オクシタニア』とか『カルチェ・ラタン』とか素晴らしいです。いまわなき王領寺静『黄金拍車〜異次元騎士カズマ』とかも最高だったなー。あれ完結しなかったから無かったことになったけど(笑)だけど、ジャンヌダルクの話は、超弩級の傑作だといもでも思っているんだけどなー。。。エトワール、かわいかった・・・。まぁその後の、この人が改名して、藤本ひとみ名義のフランス詩の小説も素晴らしいものが多い。『聖戦ヴァンデ』とかよかったなー。

カルチェ・ラタン (集英社文庫)
王妃の離婚 (集英社文庫)
ゼロの使い魔 (MF文庫J)
聖戦ヴァンデ〈上〉 (角川文庫)


話が少し(=かなり)ずれました。

えっと、ファンタジーの主戦場は、中世の物語です。しかし、近代の内面をえぐる主観描写による感情移入を求め、マクロの整合性を気にする、小うるさい今の我々という読者を前に、エンターメントをしようとすると、中世の停滞した世界よりも「そこ」から近世に移り変わる時期の物語が、一番面白く描けるようなのです。理由は簡単で、中世はまだ騎士は騎士らしく、英雄が英雄足りえ、世界のマクロに個人が参画したり影響を与えることが可能な時代だったのですが、現代ではもう組織を描かなければそれはムリになってしまっており、英雄が描けるギリギリのラインで且つ近代のわれわれの共感を呼べる「価値観」「や「システム」が登場している時代だから、この時代が選ばれるのです。ああ、そういえば、TONOさんの『カルバニア物語』もそうでしたね。

カルバニア物語 12 (キャラコミックス)


んでもって、ここの「具体的な処方箋を書く」ことは、勉強さえすれば、難しくないのです。


僕は、ガンダム00とかSEEDを酷評したんですが、考えてみると、それは失礼な言い草だったかもしれません。というのは、現代より先の社会の「具体的処方」ってまだないんですよね。古典SFのクラークの『幼年期の終わり』で描かれた、上位存在への進化という荒業を使用しなければ、ここはまだ「歴史的にどうすればいいのか?」ってのはリアルタイムで、どうにもならないんです。SFの世界観でも、頓知のように「上位存在のへの進化」という概念(=コンセプト)で思考できるフィールドを一気に広めていますが、それは、飛躍した後の物語であって、人類を人類のまま描くとなると歴史群像劇にスタイルにならざるを得ないんですが、そうすると「具体的のどうするの?」という質問が来てしまう。田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』のように、割り切って、人類の歴史は回帰するんだ、だから中国史と同じ内容に意匠をつければいい!というというのも、ある種の、割り切りでそれはそれでいいと思うのですが、「その先の物語」を描くには、どうしても、具体的描写がいります。漫画の連載とかで時事ネタを扱うと、物凄いスピードで、風化するのと同じで、ここを描くのは難しいんですねー。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
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(3)と(4)も80%ぐらい完成しているんですが、、、、仕事で余裕がなさそうなので、ずっと先になってしまうかなー。。。


ちなみにタイトルは、下記です。


魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著 ランドリオールの類似点の考察〜メイド姉が目指す苦しみを分かち合いたいという考え方と、DXが何を目指しているか?(3)および(4)


先日の飲み会で話しているので、LDさんとかいずみのさんは、知っているよね?。ほんとは、これが書きたかったんですが、長くなりすぎて、分割(笑)