物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-04-12

レンタルで。

最近毎週子供のDVDと奥さんのDVD帰りにレンタルショップに行く。そのついでに、毎週結構な量の漫画を借りてくる・・・・。ああ、、、、毎日新しい巻が読めるのって、、、幸せ。なんか、、、どんな機微いことでも耐えられそう。おれって安い人だなー(苦笑)。

購入。

ログ・ホライズン1 異世界のはじまり


何度か読みなおしているけど、書籍も購入。ほほー絵があると、やっぱり感じ方が全然違うなー。

おもしろかった!。

ソードアート・オンライン〈7〉マザーズ・ロザリオ (電撃文庫)

電車の中で、涙ぐんでいました。ちょっと恥ずかしい人でした。


前回どなたかがコメントで、次の作品を読んでぜひ感想が聞きたい!と言っていました。それは前回まで、マンネリ化しているよなーっていうような感想を書いていたからなんですが、、、まだよく評価できていないので全体の位置づけとかそういうのあまり浮かばないのですが、とにかく泣けました。。。。


今回は、キリトはほとんどでなくて、アスナの話ですね。作者さんは、話が長く続く系統の人なのですが、この長さでこういう新しい展開に持っていけるのは、いやーさすがだなー。やっぱ物語る力ってのは才能なんだよなーと思いました。

第一原発行ってきたけど質問ある?

http://twuruttwuru.2chblog.jp/archives/1848846.html

ほんとかどうかわからないけど、なんか、現場に言っていないと絶対出ないような雰囲気がある。胸が熱くなった。なんか、ぐっときた。

『ボクを包む月の光』6巻 日渡早紀著  逆に訊くぞ、幸せじゃいけないのかよ?

ボクを包む月の光―ぼく地球次世代編 (6) (花とゆめCOMICS (3306))

レンタルで一気に借りてきて読んでいる。


・・・ここらへんまで少し前に読んだことあったような、、、、。感想も同じだった気がするが、、、検索しても見つけられないんですが、、、、


「このままこんなふうに幸せにしてていいのかな」って---------------逆に訊くぞ、幸せじゃいけないのかよ?幸せで何が悪い?




p152 大人になった小林輪のセリフ



このセリフよかった。


そもそも『ぼくの地球を守って』は、なんというか、前世の記憶を持つ!っていう系統の物語の元祖みたいなもので、かつ、なんというのだろうなー80年代のもうすぐ世界が滅びてしまうかもしれない?というようなオカルトちっくな感覚をベースにした熱狂的な作品だったんだけれども、この時のなんというか、当時の新興宗教ブームと重なる「前世ブーム」の熱狂を覚えているだろうか?。あまりのヤバさに、これはフィクションです!と作者が宣言しなければいけなかったぐらいのもので、物語そのものが凄まじい高いレベルにあることだけではなく、80年代の妖しい香りを凄まじく放つ作品なのですよね。この「前世ブーム」の妖しさは、体験した人でなければ分からないと思うので、現代の若者が読んでも、たぶんわからないかもしれない。オウム真理教のテロにつがなる80年代のあの時代の感覚。

そういった背景を深く刻み込まれた、この作品に出てくる紫苑というキャラクターの告発は、凄まじいエネルギーを秘めており、リアルタイムで読んでいた時の胸につきささるような感覚は今でも忘れられない。物語自体も凄まじく見事なレベルにあるので、80年代の香りが薄れる分だけ弱くはなると思う(=文脈は同じには読めない)が、それでもこの、何もかも否定的に世界に絶望していく感覚は、読めばわかると思う。80年代は、、、あれほどバブルに熱狂した時代であるにもかかわらず、いやそれだからこそか、非常に反現世的な、浮かれて熟れきって退廃した現実を否定する意識が強かった。

この感覚は、オウム真理教などの新興宗教への傾倒や、90年代の新世紀エヴァンゲリオンの病んだ自意識の告発の流れに繋がっていく。まぁ一言でいえば、現実的には、凄まじいバブルを謳歌しているのだが、その反面、生きている実感の喪失や価値や意味の喪失というった実存面での崩壊も同時に起きており、この後、先進国中最大の自殺率を誇る国になってゆく、、、、ようは、生きている実感がないとか、役割の自分を捨てて「本当の自分を探す」といった、あれですね。ようは自意識の病(=自己否定の繰り返し)なんですが、この時の感覚をいうと「幸せになっちゃいけない・幸せである自分は嘘だ!(=バブルで経済的には幸せだけど、心が満たされない!)」というような、自分で自分の足元をすくい、疑っていく感覚です。

けど、、、00年代に入って、、、、、自意識の病で苦しんだバブル世代は年齢があがり、その後の世代はそもそも自意識自体をもてない薄さを持つにいたった現代では、そろそろ自意識が空転してで自分で自分を告発する・・・幸せになることは出来ない!と自分で思い込むことへの反発から、まてよ、なんで幸せになっちゃいけないの?。いいじゃん、幸せになれば、って、感じの方向へ感覚が移っていると僕は思います。決断主義なんかも、ようは、ウジウジ悩んでないで、いったん悩みは無視して、行動に移ろうよという一つの答えなんですが・・・それは、並行世界を繰り返し渡るような自意識の迷宮の中で「悩み続けていること」そのものから脱出しようぜ、という00年代以降の方向性と、リンクしていると思うんですよ。


というような、流れを感じると、、、、大人になった輪くんが、上記のセリフを言うのは、、、なんかぐっときます。



こういう80年代頃に凄く売れた作品の「続き」って結構出ていて、代替いまいちのものが多いんだけれども、、、この作品自体だって、やはりオリジナルよりは、何がいいたいかの鮮明さは薄れているけれども、この作品は結構、当時の輪の持っていた課題をちゃんと少しづつ大人になった現代になった視点で昇華している感じがして、僕には、、、リアルタイムで見ていた世代としては、同じように、輪やありすのように子供がいる親になった今見ると、、、凄く凄く思うところがあります。たぶん、とても「成長した視点」から当時を見る目が真摯なんだろうと思います。作者。



あと、、、、6巻見てて思うんですが、『ぼくの地球を守って』で、ありすって、かわいいとおもいました?。僕は、うーん、、、とずっと思っていたんですよ(笑)。好みじゃないけど、木蓮が絶世の美女というのは凄くわかるんですが・・・・。けど、、、、お母さんになったいまのありすって、、、、すげぇーかわいい&色っぽい(笑)。なんつーか、小さい子供を持つお母さんの色気というか、かわいさというのが、炸裂している気がする(←よくわからない表現)。見ててたまらなくなります・・・(笑)。ねぇ?そう思わない?。・・・どうなんだろう?万人にそう見えるのか?それとも、小さい子供を持つ奥さん(=自分の奥さん)をまじかで見ているので、そういうのに気付きやすくなっているのか・・・どうなんだろう?。


ぼくの地球を守って―愛蔵版 (1)