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神と人を繋ぐもの

八雲立つ出雲へ行った。10月(神無月)は、出雲に日の本の神が全て集うため、ここだけ神有月となり、参拝すればご利益も特別らしい。(本当は旧暦なので11月なのだが)
参道は、伊勢に比べれば、いくぶん土着的というか、もっさりしたところもあるのが、そこが神域の静謐さとあいまって日本の古代を感じさせる。


考えてみれば、こうした宗教建築や施設は、「神」という「人の作りし情報群」と、そこに集う人間を繋ぐインタフェースそのものだ。
伊勢もすごかったし、ここ出雲でも樹齢数百年は軽く行っているような巨木群を見ると圧倒される。
中世の教会建築が、あれほどまでに尖塔にこだわったのも、天にましますキリスト教の神を、人に認識させるためだったと、何かで読んだ気がする。
交感というか交歓というか、そういう気の流れが、現代のインタフェースデザインでももっと重要視されてもいいよなと思った。
今とは比較にならないぐらい情報量が少なく、受け手の価値観やリテラシーのパターンもしぼりこめる状況であったとはいえ、演出、うまかったんだろうな、と思う。

再奥の本殿は、残念ながらあまり良く見えない。あれが、その昔、地上16丈(約48メートル)の高床式であったという説があるとはね。
まるで、地上バビロンの空中庭園とか世界七不思議クラスだね。