『生物と無生物のあいだ』


生物と無生物のあいだ福岡伸一
 子供のころから自然科学系の本が好きだった。このたび休刊を決めた学研の児童向け月刊誌「科学」と「学習」では「科学」の方が大好きな少年だった。とはいってもその後文系の人生を長く歩んだため、科学の恩恵にあずかることは多くても、それに寄与することなどは一切無いと自信を持って言える。まぁしかし、この地球や宇宙がどういうしくみになっているのかをほんの少しでも知ることは楽しいものだ。書店で自然科学のコーナーにいくと、まだまだ知らないこと、不思議なことはいくらでもあることを思い知らされる。科学の進歩は世界や宇宙の謎を数多く解き明かし、人類の知識として蓄積してきた。仕方のないことだが、蓄積された知識が多くなればなるほど、自分の知っていることは相対的にどんどんちっぽけになっていき、本を読んでも基礎になる知識が無いためにそこに書かれていることが理解できない、という事態に陥る可能性が増えてくる。さらに言うと、年とともに記憶力はどんどん低下していくので、入門書を読んで理解してもそれを忘れてしまい、また入門書を買ってしまう、という事態に陥る可能性も増えている。

 著者の福岡伸一の専門は分子生物学、分子レベルの考察から生命の謎に挑むわけだ。「プロローグ」と題された本書のまえがきで「生物とは何か」という問いが提示される。著者が学生時代に生物学の授業で教師から投げかけられた問いだという。タイトルの『生物と無生物のあいだ』というのはこの問いの言い替えだろう。日常生活の中で生物といえば動物や昆虫や魚を思う。それから植物も生きている。少し考えを広げるとカビや細菌も生物なのかもしれない。では巷を騒がせる新型インフルエンザのウイルスなどはどうだろうか?本書によると、ウイルスはDNAを持ち、自己を複製して増えることができる。しかしものを食べたり呼吸をしたりといった、一切の代謝を行なわない。限りなく物質に近い、生物と無生物との中間的な存在で、著者はこれを無生物に分類する・・・いったい生物と無生物の境目はどこにあるのか、すなわち生物とは何か?という問いに行き当たるのだ。

 本書では著者のアメリカでの研究生活の思い出やDNAが発見されるまでの過程、研究者たちの気が遠くなるような作業の数々や過酷な労働環境、そして新発見をめぐる熾烈なレースなどのエピソードが数多く紹介されている。しかしそれらは単に面白いから書かれているのではなく、それらを読み進むうち、読者は分子生物学という学問について、おぼろげではあるがイメージできるように計算され配置されている。本書の後半では著者自信が携わったすい臓がその消化酵素を作り出す仕組みを解き明かす研究についてかなりのページが割かれているが、無理なくスイスイトと興味深く読むことができた。さらに特筆すべきは、これらのエピソードがまるでエッセイのように語られていること。全編を通して一人の人間としての著者の目線が貫かれ、論文臭さが全くない。自然科学の本とは思えぬほど文学的だったりする、詩的で美しい文章には驚くばかりだ。

 「生物とは何か」という問いの答えは冒頭の「プロローグ」に提示されている。「動的平衡」というのがそれだが、なるほど「動的平衡」というのはこういうことかと自分なりに理解できた。そして命の奥深さにあらためて驚いた。 サントリー学芸賞受賞作。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
作者: 福岡伸一
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2007/05/18
メディア: 新書