『日本人が知らない幸福』


『日本人が知らない幸福』 武永賢
 著者の武永賢はベトナム生まれ。10歳のときサイゴン陥落で故国ベトナム共和国が消滅。13歳の時から合計7回海外への亡命を図るが全て失敗。17歳の時家族とともに合法難民として日本へ亡命し定住。杏林大学医学部卒業後、医師国家試験に合格。日本に帰化した現役の医師だ。

 タイトルにあるとおり、この本には著者が感じた幸福、日本人が知らない幸福について書かれている。兄弟を愛し両親を誇りに思うことに幸福を感じる。現在の自分が置かれた環境に感謝し、税金を払えることにさえ幸福に思う。日本人が気づかない、日本人には分からない幸福と言い換えてもよいだろう。戦争、亡命、異国での生活。平和ボケした日本人が決して知らない苦労がその背景にあるのは言うまでもない。

 発展途上国や紛争地帯に生きる人、生きた人達についての文章や映像に触れると、自分が悪いわけじゃないのだけれど反省のような気持ちになってしまう。そしてその裏返しだろう、苦しい状況、生きるか死ぬかの状況にいくらかの羨ましさを感じてしまう。おかしな事なのだが本当だ。根源的で本質的なところで日本人はやはり何かを失っているのだろうと思う。

 現代日本人が失ったものを社会的機能側面から見ると、例えば精神的強さは個が環境変化に対応し生き延びるための防御装置。礼節や年長者を敬う気持ちは集団が集団として機能するための基本ルール。家族の絆は一族を滅ぼさぬためのセーフティネットと言い換えられよう。これらが必要となり機能するチャンスは発展途上国や紛争地帯と比べ現代日本では圧倒的に少かろう事は想像に難くない。戦後まもなく作られた法律や退化しつつある器官のようにめったに出番がない。だからみんなそのことを忘れてしまい、忘れていても日常生活に支障が無く、ほとんど困らない。そんな世代が2-3代続こうものなら、文化としてそのあたりがスポッと抜け落ちた国家ができてしまうのかもしれない。発展途上国や紛争地帯に生きる人達についての話にグッとくるのは、自分達が無くした過去の遺物に対するノスタルジーなのかも知れない。うーむ、これでは日本の未来は一層殺伐としたものになってしまう。

 話が横道にそれてしまった。著者の武永賢の元の名前はヴー・ダン・コイさんという。この人の文章は非常に丁寧で、明確な論理に裏打ちされている。そして自分の「考え」と「気持ち」とを区別して語ることができる。すこし慎重すぎるような気もするが、こういう文章が個人的には大好きだ。戦争、難民、苦学して大学入学という経歴を聞くと昔の人のようだが、生まれは1965年、自分と同い年だ。同じ時代を生きてきただけに逃げ隠れできない。ベトナム難民と現代日本人との違いではなく彼と自分との違いを突き付けられた気がする。

日本人が知らない幸福 (新潮新書)
作者: 武永賢
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2009/09
メディア: 新書