『ミュータント・メッセージ』


 ハートにガツンとくる一冊。マルロ・モーガン女史によるこの本、受け止め方は千差万別だろう。いつもはネタバレにならない程度に本の内容を紹介するのだけれど、今回はパス。読まなきゃわからないタイプの本。

 感想を書く前に、この本に対する自分の立場を明確にしたい。

 この本はお勧めか?:オススメ!
 この本に書かれた事を信じるか?:信じる
 著者に共感するか?:する
 自分の生き方を変えるか?:変えない

 時代や場所によって、必要とされる能力は違う。ある能力を何世代もかけて伸ばしたり、逆に不要な力を忘れていったりということも当然あっただろう。だから我々には尻尾がない。この本に紹介されている人達、はるか昔からオーストラリア大陸に生きてきた人達に我々には無い能力があったとしても何ら不思議じゃぁない。一方、彼らの持つ能力が自分に欠けていることを残念に思っても自分を卑下する事はない。自分は足が遅い、おしゃべりが上手でない、尻尾がない、というのと同じこと。そのかわりに得意ながいくつかあればよい。

 少し話を発展させよう。我々に尻尾がなくなったことを「進化」と表現したりするけれど、「変化」というのが正しいと思う。プラスの価値判断を含めた「進化」だと勘違いするから、この本に書かれたような自分にない能力に出会った時、生き方を変えるかこの本を否定するかの選択をすることになってしまうのだ。我々は彼らと違う方向に変化しただけ。

 この駄文のタイトルにある「トラヴェルソ」とは昔の木製のフルートのこと。金属でできた現代のフルートとは構造的にも、機構的にも大きく違う。この違いのことを「進化」と表現されるたびに「そうじゃない」と思った。トラヴェルソ吹きにとって、バロック時代の音楽を、吹き方も音色も違う今のフルートで吹かれるとものすごく気持ちが悪いのだ。しかし、現代のフルートしか知らず、トラヴェルソから現代のフルートに「進化した」と信じている人にはこの気持ち悪さを理解できないのだろう。オーストラリアの大地に生きる<真実の人>族が、この本の著者を「ミュータント」と呼んだのはこんな気持ちなのではないだろうか。

ミュータント・メッセージ (角川文庫)
作者: マルロモーガン, Marlo Morgan, 小沢瑞穂
メーカー/出版社: 角川書店
発売日: 1999/04
ジャンル: 和書