いい加減天気よくなれや!!

今日の1シーン

南東の海上に高気圧が頑張ってるせいで列島の真上に秋雨前線が停滞、北の移動性高気圧も南下するにも南下できないという膠着状況が続いてるらしいじゃないですか。
週末ソフトボール大会なのに天気悪かったらまじ萎えや。


にしてもこんなに天気に気分や体調が左右されたのは生まれて初めて鴨。

今日も学校でいろんなやつと会ってうだうだしゃべってぐでぐでしてたけどちっとも元気が出ん。どうした俺。うがー。何か頭いてぇし寒気するし、昨日柄にもなく授業なんぞに出たせいでカラダがどーかしちまったらしい。てゆーか今日は萎えるシーンを2つほど目撃しちまったのが良くなかったの鴨。


図書館でスペイン語の勉強してみたんだが、常人なら30分もかからない幼稚園児用の文法問題を本気でやって2時間もかかった。もうダメぽ。頭痛え。こんな日はさっさと布団に入ってのんびり映画でも見るべ、紅茶でも飲みながら。


と思ってたら、帰宅直後でさらにテンション下がってるまさにジャストナウ、楽から飲みの電話。何となつかしのYりっぺ他までいるっちゅうじゃねーか。今から本郷来いとか無理じゃーだって今本郷から帰ってきたばっかなのに。タイミングわるっ。

しかも「紅茶飲みながら」って書いたけど、今コンロのつまみがぶっ壊れてて火がつかへんのよね。早く修理すればいいのに、何か費用負担者を明確にしろとかガス会社に言われて手続きめんどくさいから渋ってる。いつのまにこんな亀野郎になったんだ俺。


という感じで、びっくりなくらい今日は何だか空回りしとる。誰か回転止めて。

トーク・トゥ・ハー(Hable con ella)

('02西、監督:ペドロ・アルモドバル、主演:レオノール・ワトリング、ハビエル・カマラ)


牛に突かれて長い昏睡状態に陥った女性闘牛士を見守るジャーナリストの男性と、
同じ病院の別室ですでに4年も寝たきりのままの美しい少女を日夜世話する看護士の男性の物語。

そして『Talk to her』というタイトル。




となると、この映画は植物人間になってしまった女性を優しく見守りながら彼女に語り続ける男性たちの愛の物語、という美しい想像が浮かんでくる






かもしれないが、実際のところ、この映画はそんなキレイごとでは片付かない。

きわめてえげつない描写が濃々と、そして何のはじらいもなく展開されている。。

もっとはっきり言えば、変態と言われても仕方ないダサ男と、そいつとうっかり仲良くなってしまった哀れな男の話だ。

日本語版の予告のラストの『深い眠りの底でも 女は女であり続ける』なんてフレーズは誤解を生むだけだからやめろと言いたい。


観終わったときは、構成の流麗さと、配色の美しさにうっとりしてしまうが、我に返ってよく咀嚼してみると、とんでもない映画だと気づく。

えげつなさむき出しだった『オールアバウト〜』とは対照的に、静けさの中に堂々とえげつなさをしのばせている。


ハビエル・カマラやレオノール・ワトリングの無表情を通す演技力がそれを支える。ある意味すげぇ。


アクが強いのでお勧めしないが、俺は嫌いじゃない。



印象論だが、どうしてスペイン映画にはホモとかレズとか言ったセンシティブなテーマを何のためらいもなく扱った作品が多いんだろね。日本人の目からするとまだまだセンシティブな問題だけど、スペインではすでに社会的にある程度克服された問題(※)だと認識されてるんだろうか。よく分からん。


・劇中劇が面白いので注目
マドリードからセゴビアという随分離れた街までタクシーに乗るというシーンにちょいびっくり。タクシー代・・・


※【追記】
この問題を巡る法律がつい先ごろ成立の見通しが立った模様。

スペイン政府は1日、同性間の結婚を認める法案を了承した。国会審議を経て05年にも施行される見通し。欧州連合で国単位で同性結婚を認めるのは、オランダとベルギーに次いで3カ国目。(asahi.com 10/02 11:51)

反論

いま、ある映画レビューの某有名サイトを読んでいたら、『マイビッグファットウェディング』の邦訳タイトルについて俺のレビューとまったく逆のことが書いてあった。

原題は「MY BIG FAT GREEK WEDDING(わたしの どえりゃあ ごっつぅ ギリシア式 結婚式)」 「ギリシア式」ってとこがポイントなんだから邦題から省略したらダメじゃん…と、観るまでは思ってたのだ。でも、そうじゃないんだ。この映画がアメリカであれだけヒットしたのは、これが「ギリシア移民の一家のお話」だからじゃない。どのような民族的出自を持つ人が観ても「ああ、これは自分たちの家族の話だ」と思えるだけの普遍性があったからだ(おれがワーナー映画の宣伝部長だったら「マイ・ビッグ・ファット・ファミリー・ウェディング」と付けるね)

これ読んで一瞬あぁそうか、と思ったが、やっぱり違う。

この映画の面白さは、ひとつには確かに「家族の普遍性」という視聴者と登場人物の共通点にあるが、しかしやはり「ギリシャからの移民」という特殊な設定こそがコメディとしてのエッセンスを支える重要な要素なんだ、と思う。もし普通のアメリカ人の家族に置き換えてみたら、単なる『フルハウス』の焼き直しでしかない。ギリシャが「あらゆる西洋的なものの歴史的根源」であることを信じてやまない、というような自信に満ちたギリシャ移民たちのキャラクター(と引っ込み思案な主人公の性格のギャップ)こそがこの映画のおもしろさを生み出す源なんじゃないのか。

だからやっぱり邦題に「GREEK」の訳を入れなかったのはマズいんじゃないのかなーと思うのよね。


これ読んで意味分からないひとも多いかもですが、まぁこの映画観てみてよ、損はないから。元気になれるよ。