拓海広志「『補陀落の径』に寄せて」

 角川春樹さんの俳句は、一つ一つの言葉に激しい情念が込められていて、そこにはまるで言霊が潜んでいるかのようです。だから、声に出して句を読み上げると、自分の魂が揺さぶられるような気がします。句集『補陀落の径』より、僕が特に気に入った句を幾つか選んで、ここに紹介させていただきます。


 稲の穂の胎蔵界は雨の中
 父恋へば補陀落の径月の道
 神域に隣る遊郭雁渡し
 一水に銀河の響く神の山
 ねんねこや胎蔵界の闇の中
 蒼穹の芯より銀杏吹雪かな
 天狼を据ゑ海鳴りは目の高さ
 まないたに海鼠のちぢむ桂郎忌
 結界の丹の橋渡る細雪
 棒鱈を喰ふ雪国の一山家
 逃げ水のあなた滴る補陀洛山
 山中の海神くらし半夏生
 面とつて丹の結界に星月夜
 能の地の血脈昏き天の川
 拍手を打てば日の没る青岬
 鐘打つて補陀落の瀧正眼にす
 補陀落の瀧に注連張る天の川
 鮎打つて神域雨となりゐたり
 葛咲くや常世の波の遠くより
 伊邪那岐の黄泉より戻る秋暑かな
 秋燕や穂陀落渡海まぎれなし
 補陀落の人喰ひ鷹の太りけり
 天葬の星降る寺に秋扇
 補陀落といふまぼろしに酔芙蓉


 補陀落を求めて深山を彷徨った後、その果てに広がる海を渡ろうとした古人の思いが時空を超えて蘇ってくるかのようです。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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