days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

傘寿(さんじゅ)の集い


母方の祖父が80歳になったので、そのお祝いに親戚一同が集うことになりました。
ところは岩手県二戸(にのへ)の金田一温泉です。
母方の実家は高級ニンニクで有名な田子町(たっこまち)で、農業を営んでいます。
ですが彼らの娘たちの内4人は東京・横浜在住。
よって新幹線が停まる駅で、尚且つ田子から車で30分の二戸近郊が集合場所となったようです。
祖父母は5人の娘がいて、それぞれ子供を1〜4人もうけているので、娘家族と孫たちが全員集まったら、さぞかし壮観でしょう。
私の弟も含めて都合の付かないものもいたのですが、それでも大集合に変わりありません。


東京駅ホームにて、1人いる叔母(三女)と出くわします。
彼女の夫、子供達は来られないとか。
サングラス姿の私を観て、最初は自分の息子が何でこんなところに居るのだと思ったとかで大笑い。
そうか、やはり親戚同士は顔が似ているのですね。
やがて来た私の両親・妹、叔母(次女)とその夫・娘らと、ぞろぞろ新幹線に乗り込みました。
二戸までは片道3時間。
福島あたりから雪が積もった土地と、そうでない土地が、トンネルと抜ける度に交互に表われます。
その間、当初は居眠りするつもりが、元々技術屋である次女の夫と話が弾み、一睡もせずじまい。
メルセデス・ベンツの前輪からプラズマテレビと話題も多岐に及び、知識のある人との会話は楽しい。


到着した二戸は、ドアを抜けてホームに降り立つと、空気が違います。
寒い!
顔が痛くなるほど。
いや、ホームは屋内なのですが、それでも痛い。
冬の東北はおよそ10年振りなのですが、こんなにも寒かったっけ。
駅から外に出ると、一面雪景色です。

新幹線が停まるようなゴージャスな作りの駅ですが、外はいきなり寂れていました。


叔父叔母家族らは先に集合場所の旅館に行くことになり、母の母校を妹が見たいと言い出すので、そのツアーに同行することになりました。
駅でタクシーを見つけると、これが今までに乗ったことの無いようなシロモノ。
下部につららが垂れているのは良いとして、4人だから助手席には一番背の高い私が乗り込もうとすると、一面に煎餅やらの飲食いグッズが。
運転席には上着も着ないでネクタイも外した、だらしの無い格好のおじさんが居ます。
ネクタイなんて助手席の床に落ちていましたからね。


我々一行が荷物が多いのは一目瞭然なのに、最初はトランクを開けることすら気付かない運ちゃん。
トランクを開けてくれると、これまたゴミゴミしています。
まぁしかし長旅ではないので荷物も少な目、何とか入ってさぁ出発。
助手席の惨状からして私は座れないということになり、身長163cmの父が乗り込むことに。
運ちゃんが気持ちシート上のお菓子を気持ち半分どけてくれたことを記しておきましょう。


シートベルトもせず(父はすかさずしていました)、靴下にサンダルでクラッチを切り替える運ちゃん。
「このタクシーは自分のでなくて、人のだ」などと話す(実際には相当に強い訛りです)彼は、東京都心では生き抜くのは不可能でしょう。
点灯しているドアロック警告灯を睨みつつ、運ちゃんと、人見知りなどという単語を知らない父との会話に耳を傾けます。
どこから来たか訊かれると、父は東京からと答えます。
「東京か、いいなぁ。また行きたいなぁ。東京ディスニーランドは俺が作ったんだ。マンションも幾つか作ったよ」
とのこと。
出稼ぎの経験がおありのようです。


運ちゃん「あそこに住んでるおばあぁはんは3億円の宝くじに当たったんだ」
父「おばあさんじゃ、3億円当たっても使い切れないでしょう」(不謹慎な)
運ちゃん「(大笑いして)そうだな。当たっても第一勧銀はこの近くに無いので、盛岡まで行かなくちゃいけないんだ」


どこに住んでいるおばあちゃんが宝くじに当たった、などというのは田舎町ならでは。
第一勧銀などという単語を聞くのも久々ですが、盛岡まで取りに行かなくてはならないのも大変そうです。


よく通っていたというパン屋は残念ながら定休日だったので(色々な具を選んではさめたという、当時にしてはハイカラな!)、母の母校である福岡高校へ。
高校生から実家の田子(たっこ)町を出て下宿していた彼女ですが、運ちゃん曰く「福岡高校か。すごいな。あそこはアタマ良くないと入れないな」とのこと。
努力家の彼女らしい。


40年ぶりの高校は、さすがに面影がまるで無かった様子。
後者も木製から鉄筋になっており、敷地内のレイアウトもまるで違っていたようです。
しかしながら感慨はあったことでしょう。
はしゃぐ妹は自分のカメラで記念撮影です。


次に向かったのは、父の要望で金田一温泉駅
来た証拠に切符が欲しいのだとか。
ここでも妹は写真をパチリと私もパチリ。


ようやく集って宿泊する割烹旅館おぼないに到着しました。

玄関右手に雪が積もっているのは、五右衛門釜?


ホールには樹齢1,800年のブラジルの木から作ったテーブルや、何故かトラとライオンの迫力ある全身剥製などがあります。
旅館内は古い田舎旅館の風情ですが、トイレが1階、2階ともに木製で凝った作り。
これを作ってから、客がかなり増えたとか。
皆でトイレに感心しつつ、4年振りに再会した祖父母に挨拶し、数人で近所を散策することになりました。


・・・さぶぅっっっ!!!
まだ3時だというのに、寒さが靴の中の指先から痺れるように伝わってきます。
こりゃたまらん。
しかしながら雪景色の中に芽を出している木を見つけ、自然の逞しさを感じられました。

散策は20分程で逃げるように切り上げました。


16時から宴の始まり。
大広間に集合したのは、遅れて来た者も含めて総勢18名。
娘やその夫たち、孫たち相手なのに敬語を使って挨拶した祖父は感極まって泣き、それを見た娘たちもまた泣く。
いつもにこにこしていて、怒ることのなかった祖父。
こうした感情の発露は初めて見たので、個人的には若干の驚きでした。
喜んでもらって何よりです。


私は五女の夫である娘婿と、その末っ子4男坊の間でお喋り。
4男坊のKクン、いやいや、大学生になってすっかり男前でびっくりです。
ハンサムなのは叔母ゆずりか。
外見は服や髪型でいかにも現代っ子なのに、会話内容が純朴なのにほっとします。


いやいや、でも叔父や、生まれてこの方ずっと田子に暮らす五女の叔母も、純朴なのは変わらず。
延々4時間近く続けられた宴の後半に来た叔母と私は、歳も13〜4しか離れていないので、何だか姉弟のようなのです(私は妹とも11歳離れています)。
思えばどれも明るく元気な叔母たちの中で、一番彼女になついていたのは、その年齢差にもよるのかも知れません。
何年か振りの再会早々に、時々会っているかのようにいきなりヘヴィーな話を開けっ広げに明るく話してくれた叔母は、やはり素敵ではないですか。


祖父母はそれぞれの家族と、娘たちと、孫たちと・・・と、あらゆるパターンで記念撮影。
雛人形のように小さく、大人しくしていました。
それぞれからプレゼントが祖父母に渡され、またもや記念撮影です。


祖父は今年81。
祖母は79。
それに気付いたのは長女の母だったらしく、それで大集合になったとか。
実行委員は五女の夫である叔父ですが、皆のパワーに感服です。
宴終了後はその彼を中心に会計。
叔母たちと叔父とで、何をやっているんだか延々と1時間近くも会計の議論をしています。
どうやらプレゼントの割り勘とかで喧々諤々とやっている様子。

その間、こちらはお喋りです。
いい加減出て行ってくれとクレームもあり、ようやく解散しました。


解散後、田子在住組は祖父母を残して帰り、残ったものは部屋でおしゃべり。
パワフルな叔母たちは皆、感性も若く面白い。
ぞろぞろと祖母&叔母で温泉に行き、1時間半近く経ってから帰って来たので、何でそんなに遅くなったのかと尋ねると、
「脱衣場で大笑いしていた」。


しかし旅館内も廊下は相当に寒い。
家の中で息が凍るなんて、こちらでは無いですからね。
温泉は寝る直前に入ることにし、0時近くに入りました。
窓の外に雪景色が観られるのはまこと結構でありました。