days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

District 9


平日朝からの映画鑑賞です。
半年前から楽しみにしていた『第9地区』を観に行きました。
そうです、グアム旅行時にはシネコンにかかっていたのをぐっと我慢し日本公開決定を喜んだ映画なのですから。
何度かご紹介したくらいに期待していたのですから、これは観に行かねばなりません。


火曜朝9時25分からの回は10人程の入り。
それでも先週末からの出足は好調のようで嬉しい限り。
クレジットの中ではピーター・ジャクソンしか知らない名前ばかりですが、監督と脚本(テリー・タッチェルと共同)を兼任したニール・ブロンカンプの名前は覚えておきましょう。


妻を一緒に観たのですが、鑑賞後、非常に盛り上がりました。
グロ苦手な妻もこれは平気だったようです。
私は今年観た映画の中では『ハート・ロッカー』に次いでこれが気に入ったと言うと、彼女はこっちの方が『ハート・ロッカー』よりも気に入ったと言います。
どれぐらい気に入ったかと言うと、劇場の座席に座ってブーツを脱ぐつもりが、脱ぐのを忘れてしまったくらいに、あれよあれよと話が展開する映画に夢中になってしまったくらい、とか。
私もこの映画のパワーには圧倒され、要所で笑い、ニヤニヤし、終幕には心の中で拍手をし、ラストには少し感動しました。


映画は南アフリカ共和国ヨハネスブルグが舞台になっています。
30年近く前に都市上空に出現した、宇宙人が乗った巨大な空飛ぶ円盤。
どうやら故障したらしく、大量の宇宙人が難民として第9地区に収容されます。
やがて同地区はスラムと化し、近隣住民ともトラブルが絶えません。
そこで政府は都市から離れた第10地区を設立し、宇宙人たちを強制的に移動させようとします。
その責任者となったのが役人である主人公ヴィカスです。
演じるシャールト・コプリーの適度なボケが可笑しく、明らかに凡庸でありながら、人好きのする、良くも悪くも単純な男を好演しています。
ヴィカスは異星人を差別していながら、その自覚がまるでありません。
やがて彼は差別する側の気持ちも分かって行くのですが、ここではそれに触れないでおきましょう。


映画には様々な内容とアイディアが盛り込まれています。
都市上空に何故か停止している円盤。
南アフリカのスラム。
テクノロジーは発達しているのに、人類より劣って見えて、キャットフードが大好物なエビ型異星人。
デヴィッド・クローネンバーグの傑作『ザ・フライ』を思わせる変容。
異星人の強力な武器。
パワード・スーツのようなロボット。
皮肉で風刺が効いている人間ドラマとして成り立ちながらも、それらが嫌味なまでに前面に出過ぎることはなく、飽くまでも娯楽SFホラー・アクション映画に徹しています。
また、モキュメンタリの手法で始めながらも、それに囚われることなく自由に進めて行く胆力。
これらバランス感覚が素晴らしい。
ニューズウィーク日本版』では知性が無い旨叩かれていましたが、とんでもない。
内容盛りだくさんでありながら、それらが観客を楽しませるべく放り込まれた要素にしか過ぎず、娯楽に貢献する部品に徹しているところに、作者たちの知性が感じられるではありませんか。
予想も付かないあれよあれよの展開で、観客に目はスクリーンに釘付け。
男の子の夢を放り込んだ闇鍋のごった煮パワーは、かくも下品に、かくも全力疾走とばかりに突っ走ります。
グロテスクな描写も数多くありますが、あっけらかんとしたもの。
むしろ豪快且つ気前良くはじけ飛ぶ血しぶきと人体破壊描写は、笑いさえもたらします。


観客に強制せずに異星人に感情移入させ、先に述べたヴィカスに対して醒めた目線させ持たせます。
いや、むしろ主人公の必死さがサスペンスを盛り上げるにも関わらず、感情移入を拒否させるような展開にする。
それにシャールト・コプリーという俳優は全く馴染みが無いので、大スターは生き延びる可能性が高いという法則も当てはまらず、スリルを盛り上げます。
しかしながら引っ張って引っ張って終幕の大奮起と、半ばやけっぱちのような乱射乱撃の大アクションとスペクタクルでカタルシスをもたらす。
そしてヴィカスの妻への贈物が伏線となったラスト。
大いに盛り上がり、大いに楽しめました。
物足りない点としては、もう少しヴィカスと妻との関係が序盤で描かれていれば、と思いました。
そうすれば、ヴィカスの後半の行動と動機がより強力に感じられたでしょうから。


ともあれ、製作陣の創作自由度の高さが、この映画に興奮をもたらしたのだと思います。
何年か前に伝えられた、ピーター・ジャクソン製作、ブロンカンプ監督の『Halo』映画化が実現していたら、とは思いますが、もし実現していたらここまで自由奔放な作風にはならなかったでしょう。
あちらが頓挫して正解だったのかも知れません。


本作が今年のアカデミー賞オリジナル脚本賞ではなく、脚色賞の候補となったのは、ブロンカンプ自身の6分間の短編映画が元となっているからですね。

  • Alive in Joburg


観終わった後に尾を引く衝撃と満足度。
それは新しく勢いのある才能の発見に立ち会った、というものだったのかも知れません。

Shutter Island



午前中に観た映画で気を良くし、昼過ぎからも映画鑑賞。
映画は大好きな監督マーティン・スコセッシの新作『シャッター アイランド』でした。
12時30分からの回は20人程の入りです。


1950年代のボストン近郊にある島は、精神異常の犯罪者ばかりを集めた監獄精神病院となっています(アーカムアサイラムみたいなものですね)。
厳しい自然環境と厳重な監視により、誰も出られないシャッター・アイランドと呼ばれていたのです。
そこにやって来たのが、密室から忽然と消え去ったという女囚人の事件の捜査にやって来た連邦保安官レオナルド・ディカプリオとその相棒マーク・ラファロ
事件を捜査する内に、ディカプリオには別の目的があるらしいことも分かって来ます。


映画本編の上映開始前には、仰々しくも「この映画にはだまされないで下さい」とばかりに注意書きがしつこく出て来るのが、まずは興ざめです。
こんなことをされたら、純粋に映画そのものを楽しめなくなってしまうではないですか。
実際に観てみるとネタは途中で分かってしまいます。
デニス・ルヘインの原作は未読ですが、スコセッシが真面目かつ丁寧な映像作りをしているので、まぁ予想が付いた方も多いのではないでしょうか。
となると、予想された結末を越えたネタが待ち受けているかどうか、が最後まで観させる最大の興味となるのでしょうが、残念ながらそこまでは行きませんでした。
しかし結末の苦さは心に残るものです。


近年のスコセッシは往年の新しいものを見せてくれるような前衛性やパワーが失われつつありますが、それでも力量自体はさすが。
大袈裟なキャメラワークや編集、音楽の使い方など、一昔も二昔も前の怪奇映画を観るかのような楽しさに溢れています。
これを楽しめるかどうかで、古臭い映画に感じられる向きもありそうです。
実際、午前中に観た新人映画の新しいパワーに比べると、古臭さは否めません。
しかしこれは大ヴェテラン監督の華麗なる技を余興として楽しむ映画とも言えそうです。


スコセッシの盟友、ロビー・ロバートソン音楽監修によるリゲッティとブライアン・イーノの音楽が同居した世界は、中々快適な悪夢として創造されていて、これはこれで面白い。
そして世界を彩るのは、ベン・キングズレーマーク・ラファロマックス・フォン・シドーパトリシア・クラークソンテッド・レヴィンミシェル・ウィリアムズエミリー・モーティマージャッキー・アール・ヘイリーイライアス・コティーズジョン・キャロル・リンチといった、一癖も二癖もある役者たち。
彼らの演技に比べると、熱演しているディカプリオはここのところの出演作で続いている苦悩演技で、いささか分が悪く見えてしまいます。
彼にはクリストファー・ノーランの新作『インセプション』に期待したいですね。


近年のスコセッシ映画の多くを担当しているロバート・リチャードソンの撮影も、荒れた画と緻密な画、褪せた色彩とリッチな色彩の使い分けもされていて、見ごたえがありました。