第908回 通夜式會場内

あ【吾・我】(代)われ。あれ。「我が見し子に」。― 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂發行昭和12年1月25日新訂360版より引用
 
 我(事情あり「余」に非ず)考へる。通夜式會場内に入り込めば、手はお膝で黙つて靜かに着座してゐなければならぬ。是れは避けねばならぬ。出來る限りお春ちやんに近い受付邊りに自分の居所を探し出し、頼まれもせんのに自分の業務を探し出して受付係を率先して行ふ事とす。
 會場内では用意されたる席が滿席となり補助椅子が出る。故人樣の御遺徳と喪主樣ご兄弟のご交際の廣さを物語る大量の參列者なり。又落大の關係者らも續々と來たり。喜六會の會長として上下都合半世紀の歴史を物語る世代間の廣さなり。
 受付票にご署名頂く。落大關係者は一樣に悲慘なくらい字下手なりき。大いに笑ふ。殊にパンチさん、ご自分の住所を思ひ出すのに二五秒以上かゝる。待つてる間、受付係ら息を止めて居つたが故に、こつちが引つ繰り返りさうになる。あの人は大丈夫なのだらうか。
 開式。驚くべきは、會長ご一族の宗派が、余が實家の宗派・融通念佛宗なり。融通念佛宗は燒香迄が極端に長い。通夜式・葬儀はいつも讀經を延々と聞くの感あり。ちなみにウチは大和國宇陀郡萩原村に存する宗祐寺の檀家なり。葬儀後は七日毎に近隣の衆が集い西國三十三箇所の御詠歌を歌ふ。一番の那智山の御詠歌「♪ふだらくや〜」から三三番の谷汲さん迄、毎囘かなりの時間をかけて歌ひ上げる。會長ご一族もやるのだらうか。余も未だ歌へる筈だ。
 なほ通夜式は濕やかに行はれたり。
 通夜式終了す。夜伽、即ち別れの宴の開始なり。親族席とは一應、衝立てで區切らんとするご配慮あり。
 娘御前ユリーペ嬢が余に決死の覺悟の如き顏をして云ひたる。
 「亂坊さん、親族にも色々居るけど、もう思ひ殘す事なくワーと、やつて」。
 男らしき潔さでご許可を受く。
 喪主ご舎弟である我らが會長のお禮の獻杯ご發聲。勿論、余等は最大限親族の方々には配慮せり。然し乍ら配慮は一五分と持たざりき。
 久方ぶりに取れたるお通夜なり。猛烈な乾杯のラッシュ、大量な酒の消費。燒酎開栓の連打。關西屈指のアホどもが悉く皆集結したるかと見紛ふ會場は、此迄にない程に快感曲線は尻バネし、グンと熱気は上昇せり。
 記憶が一部飛んでゐるので、明確に非ず。場内の状態は以下の烏龍君のアルバムに詳し。ご参照あれかし。

http://mixi.jp/view_album.pl?id=43400565&owner_id=7691305

 順不同、當て字も含め名を記す。やん愚兄、圓九君、余、茂八ご妻君(風邪による代參)、金角師、罰太師、千太師、九里坊君、亞と無師、粹都師、ふゞき師、ぱんち師、小樂師、舞力師、めろん師、らいむ師、ひなた君、輝林師、來舞兄、一八兄、桂三歩師、三歩師令夫人、おーらい君、コアラ君、キューピー君、隣乃玄張君、志留九師、れいん師、つぼみ姉、かをり師、バカボン兄、學亂師、十巣師、櫻井一枝先生、神戸大學湊家はわい師、みつと師、呂瓶師、海野容子女史、茜丸君、宇亂君、ブラウン君、忠拝君等を見た。漏れ落ちあらばコメント欄にお叱りを。

次章に続く。