幸せの意味。


幸せとは…という本を買いました。
スヌーピーのかわいらしい本です。
僕のような顔がごつごつした男の子が買うには
少し恥ずかしい本でしたが、プレゼント用と見栄をはり
店員さんを騙して購入に至りました。
ここまでが前フリです。
その本の内容は、日常の中のほんの些細なことに
スヌーピーと仲間達は幸せを感じるというものでした。
僕は非常に感動し、幸せってこういうことなのだと
パラパラとページをめくり考えていました。
とても大切なことは、きっと自分自身にあり、
自分なりに幸せと思えることなのだと思います。
僕は日本に生まれ、お金持ちではないけれど幸せと思える家庭に
産まれました。
欲しいものもあり、叶わない夢もある。
今まで好きな事をやってきたし、これからも続ける事の出来る
環境にいます。
そしてその中に将来の夢も掲げています。
そんな風に思っていると、自分がお坊ちゃん体質なのが
よく感じられる。
別に嫌ではないのだけれど、それを脱出したい気持ちも
勿論有ります。
右から左へと、上から下へと目移りしたりもする。
しんどいことから楽な方へもスイスイと進んだりもする。
ハングリーになれば、ゴミ箱を漁るホームレスのように
その日暮らしをするわけじゃないけれど、
誰が見ても不幸せということは、
僕達が思っている以上に少ない様な気もしたりする。
でも、それは今の僕の環境がそう考えさせるんだろうか?
思っても無いことに感動して、自分が考えてる以上に
幸せを感じてるキャラクター達に
とても大きく思っていた幸せが、しぼんでいく感覚だった。
目の前の道を無視して、遠くの先にいけるはずがない。
それはとても困難だとも思えるけど、
一歩ずつ歩み寄れる自分はとても幸せな人間だと思った。
途中で逃げるかもしれないし、諦めたりするかもしれない。
ただ重力という障害があり、そこに立つだけでも
とてもとても素晴らしいのだ。
ならばそれ以上に求めているものなんて、
あって無いようなものなのかもしれない。
僕は、僕自身であり、
例え真ん中に咲く綺麗な花ではなくても、
同じ場所に咲く多くの花の一つでいい。
謙虚なように思うけど、それは違う。
物事には組み立てがあって一番下から上まで層がある。
僕はいつか隣に咲くあの花も綺麗だなと言われるのを待っている。
主張しすぎないように、枯れないように。