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- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/11/01
- メディア: 新書
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■『生きるヒント』以来、五木寛之の本を読んで「意志」を持つことの再認識。
○どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が
国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれる
とも思わない。(P7)
○国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところで
国は私たちを守ってくれない、と「諦める」ことこそ、私たちがいま覚悟
しなければならないことの1つだと思うのだ。(P9)
■これは会社にも、組織にも、コミュニティにも当てはまる。
○これまでの自分をいったん捨てさったところから、新しい生活がはじまる。(P14)
■わかるというということは、昔の自分が一度死んで、新しい自分(新しい行動規範で動く自分)
が誕生したという点で、事件なのだということ。
○戦後五十年は躁状態。現代は避けようのない鬱の時代。(P40−46)
○人間は、最後は一人で死んでいきます。夫婦であれ親子きょうだいであれ、他の人と一緒に
死ぬことはできません。だれでも最後は一人なのです。しかし、そのことが分かっている
人間同士が身を寄せ合って一緒に何かをしていくからこそ共同作業というのは尊いのだと、
考えなければなりません。(P94)
○人間はDNAの二重螺旋構造のように、善と悪の両方を内包して、悩みながら生きていく
しかないのであって、少なくとも、そういう悪を抱えて生きているという意識のかけら
ぐらいは持つべきだろうと思います。(P160)
○トルストイが言ったように、「知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべき」なのだという
気もしています。いかに優れた知識やセンスを持っていても、彼らが自然とともに
生きていく中で養い、体得している情念にはかなわないものがあると思うのです。(P165)
○親鸞は、弟子一人もつくらず、と言いましたが、それは結局のところ、人は一人でいく、
ということなのではないか。(P172)
○自分の親もきょうだいも、夫婦も子どもも、自分の一部ではない。むしろすべての人々が
兄弟、家族であると考える。それは逆に人間は最後は一人という考え方と同じです。
人生は孤独で、憂いに満ちています。あらかじめ失うとわかったものしか愛せません。(P190)
■一人でいることが当たり前。友達、家族がいるのは、尊い奇跡。