日本のスポーツマンシップ

日本にスポーツマンシップは無い。
例えば教育現場における体育や部活において、
優遇されるのは独創性や実力に欠けていても、
教師や先輩に必死についていき協調する凡人だ。
独創性や実力、骨格に優れていても、
独立独歩精神であると意図的に出来ないことにされて、
排除される。


オリンピック熱を煽るのは、TV業界を中心とした
商業主義だから仕方ないが、
そこで如何にも実直な凡人たちがイコール、スポーツマンシップ
有しているかのような描写は不正確だ。


先だってのワールドカップを見て分かる通り、
日本のスポーツ界は完全に衰退の一途だ。
それは先進国も新興国も、
皆、実力主義と論理性で挑んでいるのに、
日本だけ勘違い実力主義(=馴れ合いスポーツごっこ)という、
勝手なパラダイムで自己完結しているからだ。


しかしいけないのは、それを見る国民全般も、
完全にそういう感覚を共有している、負の協調大国で、
全くそうした実態、失態を論理的に批判しないことだ。
このまま誰もワールドカップ大敗を語らず、
なかったことにするのか?
そして同じ失態を繰り返すのか?
そうしていたら、日本は先進国の地位を失うだろう。

ブラック企業問題の向こうに何があるのか?

ブラック企業をあげつらう人たちの根底には、
「資本家や経営者は自分たちの私腹を肥やして、
俺たちは不当に苦しめられている。」という感情がある。


では、例えばそういった企業を国有企業にして、
経営者にも労働者にも、金銭や名誉に於いて何の旨みもない、
ただ安定性と公正さのみがある企業にしたとしよう。
今までぼやいていた左寄りの労働者たちは、
それで今まで以上の熱意と効率と、当然、拘束時間で、
働くだろうか?
まず無理だ。
勤労意欲は失われ、国そのものが荒廃するだろう。


結局、ブラック企業を攻撃する人たちは、
嫌儲と源流が同じであり、ただ妬んでいるだけなのだ。
あわよくば注目されて、有名に、金持ちになりたい。
それだけだ。

あらゆる可能性をぶっ潰す!!!

僕は自分のあらゆる可能性を潰すことに、
半ば快楽を感じている。


思い返せば小学校でも、中学でも、高校でも、大学のゼミでも、
僕に好意を寄せてくれて、仲良くなるチャンスをくれる
女性は確実にいた。
それもそれぞれが、なかなか聡明で、かつ美人だった。


思い返せば会社でも、それぞれの職場に、
必至で僕を奮い立たせようと、やり方は屈折していたが、
心を配ってくれる上司先輩もいた。


しかし、僕は、そうなると、
自然と心を閉ざしてしまう。


幸福になるためのきっかけは沢山あるのに、
それが幸福の入り口と勘付くと、
途端にそれを避けてしまう。
しかもそれを可笑しく思ってしまう悪魔のブラックユーモアが、
僕の中には潜んでいる。
いや、そういう悪魔が支配している。


これをやめることは、到底無理だろうという、
その気持ちが問題なのに、
その気持ちすらちょっと可笑しい。

ウディ・アレン「To Rome with love」

標題が原題なのですが、これの邦題が
「ローマでアモーレ」。
なんかセンスの欠片もないというか、
センスのない団塊世代を呼び寄せそうな題でがっかり。


とはいえ、内容は大満足。
4組のカップルをオムニバス形式で交互に描いている。
ところどころ往年の「バナナ」などを思わせる描写もあった。
(レオポルド夫妻の不条理コメディ。
路地裏で出会う司祭の行列。)


スターダストメモリーズ」にて
ウディ・アレンは初期のコメディが一番良い」いうのが、
アレンにとっては不愉快というふうにファンを
皮肉に描いていたが、
さすがにそのあたりは乗り越えた様子。


やはりアーティストはとにかく沢山創るべきだ。
創れば駄作と叩かれることもあるが、傑作も出てくる。
創らなければ何も出てこない。
それはアーティストに限らず全ての人について、
兎に角何かやってみるべきだとも言えるだろう。

ネコがあなたを殺そうとしているサイン

なんか大分前にも見たかもしれず、コピペかもしれませんが、
面白かったので、
2chの[ニュース速報]「猫がスリスリしてくる理由」より
引用します。

以下、全て引用
自由気ままに行動して愛らしいネコですが、かわいらしく思えるネコの行動の中には飼い主を殺そうとしている事を表わす行動があるそうです。
普通に考えるとツメを出し、キバをむき出しにしている姿を想像してしまいますが、実は普通では気付かないような行動こそ殺そうとしているサインのようです。
では、どのような行動をすると殺そうとしているのか見てみましょう。

■あなたの上で体をコネコネしている
これは愛情の表れのように思うかもしれませんが、弱点を探しています。
■猫用トイレの砂を必要以上に掘る
これは遺体を埋めるための練習をしているようです。
ジーと見てくる
目線をそらすと自分より弱いと考え襲ってくるそうです。
■動物の死体を持ってくる
これはプレゼントではなく警告らしい。
■草をむしる
苦い草を食べて除去することで、心身共に戦う準備をしているそうです。
■暗いところに隠れて様子をうかがう
これは自然体の姿を観察しているそうです。
■電気機器の上で寝ること
外部との通信手段を絶とうとしているらしい。
■あなたが寝ている時、あなたの顔を前足でイタズラしている
口をふさいで窒息死させようとしているらしい。
■部屋に入ろうとしたとき、すごい勢いで飛び出してくる
待ち伏せ失敗の時にとる行動のようです。

海外の邦人人質事件

現在、アルジェリアの人質事件は大きな懸案で、
それについて日本政府が何をどの程度できるのか、
というのも大きな関心事と思う。


ただ、邦人数名がそれに巻き込まれているかもしれないということで、
首相の公務が大きく制約されるというのはどうなのだろうか?
確かに人命は尊く、一刻も早く邦人の安否を確認することは、
政府としては急務だ。
しかしこういうことは欧米資本主義陣営の一員である
日本国民として、今後普通にありうることだ。


そこで問題なのは、日本政府がこういうことに
「ありうる事態」という認識で体制を敷き、
必要な武力はすぐに執行できるようにしておくべきだということだ。
もし首相が全ての予定をキャンセルして人質事件に集中して、
仮に迅速に「邦人が何名、どこそこで人質になっている。」と
判ったとしても、
現行の法制度の中でどの程度のことができるかというのは、
報道にもあるとおり、ほとんどないようである。


グローバルに活躍するビジネスマンとしては、
喫緊の時はあっという間に自衛隊が来てくれて、
テロリストを蹴散らしてくれる安心安全が欲しいのであり、
首相がそれにいちいち心を砕いてくれるということより、
ある意味日常的な行政の業務として対応してくれる方が、
望ましいと思うのだが、どうだろうか。

田中みな実にみる日本のいじめ

田中みな実アナウンサーにまつわる
一連のいじり番組を見て分かるのは、
日本のいじめ体質だ。


何か「この人は変」とか「受けを狙ってる」と
大義名分を見つけると、大勢でよってたかって、
個人攻撃をする。当然という顔で。


一連の番組の制作会社、テレビ局、タレントなどは、
全員こうしたいじめの構造に関与してるし、
いじめを肯定しているのと同じことだ。
みんな都合の良い時ばかり綺麗ごとを言って、
話の流れや、仕事であれば、平気でいじめをするのである。
むしろ喜んで進んでいじめているということは、
表情や雰囲気で分かることである。


こんな腐った日本は、もはやどうしようもない。
品性とか美徳といったものを持ち合わせた人間は、
むしろ空気を読めないと批判されるのが落ちである。