『リスク社会』再考

今日は非常勤先で試験だった。
終了後、図書館でウルリヒ・ベック『リスク社会』の英訳を借りてきた。これは僕が大学院在学中に図書館にリクエストして買ってもらったものだ。なぜまた借りてきたかといえば、先日、僕のTLでは斉藤環氏のコラム http://t.co/sUGKAmu4 が話題になったが、そこで援用されていたベックの立論が気になり、邦訳を読んでもどうも腑に落ちなかったからだ。しかしドイツ語原書はハードルが高い、日本語よりはドイツ語に近い(?)英語を介せば何かヒントがつかめるかもしれないと思った次第。
まず知りたかったのは、ベックは彼なりのリスクの定義を述べているか、ということ。英訳には詳細な索引が付いているので、すぐに以下のような記述が見つかった。

リスクは、一定の技術的過程もしくはそのほかの過程による身体的な害悪の可能性と定義される。(英訳4頁)

リスクの定義が非常に明快に書かれているが、これはスコット・ラッシュとブライアン・ウィンによる序文。このテキストは邦訳にはない。索引の「risk difinitions」にはそのほかいくかの頁が示されているが、いずれもリスクという概念をクリアに定義した文章ではなく、リスク、というか、リスクとみなされるものの定義を、メタなレベルで議論している文章である。
僕が知りたかったことの1つは、ベックは「リスク」を「危険」と区別して議論しているかということだったのだが、どうやら彼はルーマンとは違ってその区別にはこだわっていないようだ。英訳には「risk」以外に「danger」という単語も散見されるが、後者はごくわずかなうえ、特にそれらの相違を議論した部分は見つからない。やはりこの件については、ルーマンの『リスク:社会学的理論』(『リスクの社会学』の英訳)などを参照すべきなのだろう。邦訳は残念ながらないようだ。
ところで斉藤環氏はベックをこう援用している。

リスク社会においては、われわれの生活を快適にするはずの技術が同時にリスクも生産してしまうため、ひとたび事故が起こればリスクは万人に等しくふりかかることになる。原発事故がそうであったように。

http://t.co/sUGKAmu4

僕がとくに引っかかったのは「リスクは万人に等しくふりかかる」という部分だ。ある研究者は、斎藤氏とは違うように援用していた。つまり、富の配分が不平等であるように、リスクの配分も不平等ではなく、リスクは人々に不平等にふりかかる(大意)、と。
僕自身は数年前、修士論文を書くために邦訳『危険社会』(法政大学出版)を読んだとき、非常に多くのことを学びながらも、最も気になったのはその辺りのことである。ベックは両方書いているのだ。ある部分ではリスクは「等しく=平等」にふりかかるという意味のことを述べ、別の部分ではリスクは不平等にふりかかるという意味のことを述べている。おそらくベックは両面を見ているのだろう。しかし彼が『リスク社会』(=『危険社会』)を出版した時点で、つまりチェルノブイリ事故が起きた年でもある1986年に強調したのは、どうやら前者であるようだ。たとえば

危険社会では(階級社会とは異なり、危険とのさまざまなかかわりが客観的にみて同一のものとなってくる。極端にいえば、敵と味方、東洋と西洋、上と下の関係、都市と地方、黒人と白人、南と北などは、文明の中で増大している危険の圧力に等しく曝されているのである。危険社会は決して階級社会と同じではない。(邦訳71頁、英訳47頁)

つまり斎藤氏の援用に問題はない。彼は標準的な解釈を取っている。僕が問題にしたいのは、むしろベック自身の立論だ。率直にいって間違っていないだろうか。僕がそう思うのは、いわゆる健康格差論、健康の社会的決定因子論の知見は逆のことを示し続けているからであり、ベックの議論はあまりにもそれからかけ離れていると感じられるからである。そしてその印象は、東日本大震災をめぐる、ある研究者の真摯な考察を目にしてさらに強まった。蛇足ながら、ある事情で、昨年、ではなく、一昨年の『防災白書』に目を通したときにも。
しかし、それは後知恵、後出しジャンケンにすぎないかもしれない。ベックは『リスク社会』以降も論考を発表しつづけているが、僕はそれらを消化できていないということもある。
そしてつまらない後出しジャンケン、重箱の隅つつきよりも重要なことがたぶんある。

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

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Risk Society: Towards a New Modernity (Published in association with Theory, Culture & Society)

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Risk: A Sociological Theory (Communication and Social Order)

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