どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

てあたりを読んで、え?ちょっと違うんじゃないの、と思ったので、多少はかんだんで、再びはてなで書きますね。

#ここまでのテーマとはあまり関係ないんですけども、関係ない事がつながっていくのがweb(≒ブログ)という事でご容赦下さい。

あの頃は、私も、今よりずっとTVを見ていたし、(たぶん)今よりもずっとTVは影響力も大きかったように思うんで、今になって思い出すと、と言う形ではありますが、当時の雰囲気みたいなのも、世界でひとつだけの花よりは、私にも分りやすかったように思えます。

ここでは、昭和枯れすすきが「現実を直視した自己憐憫の歌」と言う事で話が進んでいるように思うのですが(もし、そうじゃなかったら、私の読み違いですので、以下は無効になります。ごめんなさい)、あれはそんな歌じゃなかったと思うのです。

私の当時の感覚ですと、「昭和枯れすすき」は「ネタとしてのベタな貧乏」を描いた歌で、貧乏がネタに出来るぐらい、日本が豊かになって来ていたから受けたんだと思っていました。「一億総中流」が信じられていたから出て来たと。

確かに、この曲が出た当時は貧乏くさい曲が多いのですが、一方で、それは、貧乏だった頃を「振り返る」曲だったようにも思えるのですよ。

あの当時でさえこのメロディは充分「古臭く」、と言うかベタに古臭いメロディと芝居がかった貧乏な設定が、逆に当時としては「新鮮」だったと感じたように思うのです。

当時の私はヤング(笑)でしたが、これが、一方ではおとーさんたちの癒しソングとして機能したのは、歌詞とか歌の中で描かれてる状況みたいのよりは、どちらかと言うと、「分りやすい古臭さ」の部分だったんじゃないのかなぁ、と。

きょうびは誰でもこうやって、たかが歌謡曲の歌詞にまで、細かい突っ込み入れたりしますし、そんな事が出来るぐらいうちらは豊か(笑)で賢く(大笑い)もなったりした訳ですが、歌謡曲の歌詞で言うならば、この頃よりももうちょい昔のヒット曲になりますと、物語りもなければメッセージもない、そう言う意味では、「意味不明の曲」がずっと多かったように思います。

#「世界の国からこんにちは」とか、今から考えるとシュールなぐらい。

それに、事実はさて置き、時代の気分で言うのならば、「貧しさに負けた」「いっそこのまま死のうか」は、(私の感覚ですと)あの頃よりは、むしろ今の方が「リアル」に感じられます。

なんて事を考えたらば、もしかして、時代の空気が絶望的だったから、一見ノーテンキな「世界でひとつだけの花」みたいな大甘の夢が受けたのかも。なんて、嫌な類推も出来ちゃうな、とか。

追記:てな前提で、もっと悪意を持ってこの歌を見るならば、おとーさん達は「これよりはマシ」と思って癒されてたのかもしれしれない、とも言えちゃうような。