ほめ殺しのよっちゃん番外編

ほめ殺しのよっちゃんの部屋には、石油ストーブが一つある。これが、よっちゃんの暖房のすべてだ。
ストーブの上にはやかんが二つ乗っている。一つのやかんは、お湯を飲むためで、もう一つの方は、湯たんぽ用のお湯だ。そう、よっちゃんはお湯を飲んでいる。要するに白湯だ。お茶を買う金を節約しているのだが、最近では白湯の方がうまいと思っている。

今年は例年になく寒いような気がする。東北や関東の山間部では、大雪が続いている。
よっちゃんは冬にはズボンを二枚はく。ズボン下まで入れると三枚になる。

20代のころまで、ズボン下は必要としなかった。たいていはジーパン一枚で過ごしていた。それが、30代になって初めてズボン下をはくと、これまでのやせ我慢は何だったのか、と思えてきた。
40代、50代とずっとそれで通してきた。ところが、60歳を過ぎたころから、それでも寒く感じるようになった。ついにズボンを一枚追加した。内側で燃えている火が、少しずつ弱くなっているのだろう。

しかし、とよっちゃんは思うのだ。
体力は年齢とともに確かに落ちた。でも、感性はどうだろう?体力の衰えとは逆に感性は、ますます柔らかく、しなやかになっていくようだ。
これはなぜだろうと考えた。そして、今日一つの結論に達した。それは、貧乏が感性を支えているということだ。貧乏が感性を支える?そうなのだ。むかし、「太った豚であるよりも、痩せたソクラテスであれ」と聞いたことがある。

先日、この地域では割と裕福な暮らしをしている人が多く集まった会合に出席した。
元公務員、元教師、弁護士などが顔を並べていた。しかしだ、そうではない人が少数だがいた。どうしても正規の料金で看板代を請求できないウメダさんや苓北でキュウリを作っているテッちゃんだ。よっちゃんは思う。世界は彼らのためにあるべきだ。天地をひっくり返して、彼らこそを最上位に置くべきだ。

よっちゃんは、こう思ってからなんとなく清々しい気分になった。
貧乏が感性を支える。今日の寒い夜が、ホッと暖かくなった。