双子の給水塔 その2

 今朝、窓をあけましたら、涼しい風がサーっと吹き込みました。10月になっても蒸し暑かったのでこの涼しさが都会にいても高原の朝のように感じてしまいました。10月も三分の一が終わろうとしているのですから、例年の気温になっているのかもしれませんね。

 さて、先日参加致しました駒沢給水塔見学の時、保存会の方が展示してくださった写真の数々を拝見して竣工当時のことを知ることができました。
    
 2011年、竣工88周年記念として、「米寿の給水塔」というタイトルで建設当時の貴重な写真から作成されたカードが販売されておりました。私も記念に購入いたしました。
 左側、一番上は、カードの入っていた封筒。写っているのは、2号塔屋上よりみた一号塔です。
 下の写真は、大正12年1月撮影。足場の中に第二号塔が姿を現し始めたところです。塔頂部の4本の柱に支えられたドームは、日本庭園にみられる四阿(あづまや)を模しているそうです。
 中央、一番上の写真は、大正13年3月、竣工直後に撮影された写真。
 二番目は、大正11年9月撮影で、麦畑に作られた建設事務所と敷地を囲む塀。事務所は、切り妻屋根でハーフティンバー風のしゃれた建物。給水塔建設の最初に出来たのが建設事務所と瓶だったことがこの写真からも分かりました。北側に位置する2号塔から建造は始まったとのことでした。
 3番目は、大正12年3月撮影。完成した二号塔の天井近くのブリッジ(水深182mの水面上に渡されている)に並ぶ建造関係技師の皆さま。全員お帽子をかぶってダンディーな姿ですね。

 右側の3枚は、大正13年3月、竣工記念に売り出された絵葉書のレプリカ。モノクロ写真を着色して印刷されています。カードを納めているケースのデザインも素敵で大正時代のロマンを感じます。
 この給水塔建造は、記念の絵葉書が発売されるくらいの大事業だったんですね。一面の麦畑だった場所に現れた給水塔を見て、近隣の方達はその巨大さにさぞ驚いたことでしょう。

    
 見学会の時に配布された資料は、保存会の皆様の手作り。右に見えます子供向けのパンフレットは、大人が読んでも楽しめます。

 建設するのに何故この地を選んだのか?保存会の方の説明でその謎が解けました。標高という点では、近所にもう少し高いところはあったそうなのですが、地盤がしっかりしている関係から今の場所に建設が決まったそうです。
 大正時代の建造で、壁の表面などは傷んでいる部分も見られますが、建物としてはしっかりしていて、耐震性はまだまだ大丈夫とのお墨付きを頂いたとのとこでした。東日本大震災の後で耐震検査がされました結果です。給水塔として今は現役ではありませんが、近々工事か始まり、7年後には給水塔としてのお役が復活する予定とのことです。

 この見学会で双子の給水塔について色々知ることができてますます愛着を感じました。保存会の皆様に感謝いたします。
 よろしければ、下記ご参考迄に。
駒沢給水塔風景資産保存会のHP: http://setagaya.kir.jp/koma-q/