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2008.12.14.Sun. 

[] レム “天の声・枯草熱”

天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)




“Głos Pana”, 1968
“Katar”, 1976
  Stanisław Lem



 スタニスワフ・レムの中期の著作。
 少し傾向の異なる二作品が収められている。



 以下、ある程度ネタバレ含みます。
  (“天の声”は、仮にネタバレがあっても読むおもしろさに支障はないと思うけど、“枯草熱”はまがりなりにもミステリーであるので...。)





“天の声”

われわれはまだその準備ができていないのに──しかしそれと同時に可能なかぎりの自信をもって、巨大な発見物の麓に立っていた。われわれはただちに四方八方から、素早くむさぼるように、巧妙に、伝統的な熟練をみせて、蟻のようにそれにとりついたのだ。私もその一人だった。これは蟻の物語である。


 “ソラリスの陽のもとに”と同様に、地球外知性体とコミュニケーションを取ろうと試みる人類の姿を描いている。ただしこちらの作品では、遠い惑星の情景も未知なる異星生物も登場しない。出てくる手掛かりは、繰り返し地球に注がれているニュートリノのパルスだけ。これはもしかすると何らかの情報を持って意図的に送り込まれたものかもしれない、と見なされたところから、その全容を解明するための国家的プロジェクトが組織されることになる。
 小説全体は、プロジェクトに参加したひとりの数学者が残した手記という体裁を取っていて、同僚の科学者たちや政府とのやり取りが綴られている。登場人物たちの間にはこれといった感傷的なドラマは展開しない。主としてこの数学者の思索内容が淡々と語られるだけにとどまる。


 この小説は、端的に言って、挫折と徒労の記録だ。

 プロジェクトが「通信」の内容を解読できなかったことや「誰が」通信を送ってきたかが解明できなかったことは言うに及ばず、一連の研究からは何ら有益な応用物も生み出されなかった。途中で、研究から派生した物質が強力な兵器として使えそうな可能性がわかって科学者たちが思い悩む局面があるのだが、しかし結局それも実用化できない欠陥を持っていることがわかり、中途半端に立ち消えた。
 研究がいかなる成果にもつながらなかったという点ではたしかに失敗なのだが、しかし同時に、この国家プロジェクトの派生物が後の世に悲劇を生んだり大混乱や戦争を引き起こしたり...、といったことも起こらなかったという意味では、派手な失敗すら許してくれなかったともいえるかもしれない。膨大な人員とコストと年月を費やし、国家がそのプライドを賭けて取り組んだ巨大プロジェクトが結局、成功も失敗もせず、ただ単に何も生まなかったということ。それは喜劇的でもある。
 また一方、登場人物たちの個人的な側面に限ってみても、彼らは成長するわけでもなく、問題に対する明瞭な答を見出すわけでもなく、何かの達観を得ることもない。興奮するようなイベントもドラマもなく、つまり物語がない。ただ疑問が提示され、解決に向けた努力が為されるだけ。そしてそれは何にも結実することなく終了する。

 プロジェクトのなかでは、暗号解読への見通しがつきそうな糸口が発見されても、すぐに別の説明がつけられ、肯定的な解釈を斥けてしまう。通信の正体や、研究を通じての科学的成果のようなものが何度も浮かび上がるが、やがてそれらはまやかしか無意味なものであることが判明する。ごく些細な事柄を除いて、何ひとつ、きっちりと確定するものはない。すべては仮説のままに置かれる。
 結末近くで、プロジェクトに参加した科学者たちによる研究成果発表会のようなものが開かれ、小説全体に対するある種の解答と言えなくもないような報告が為されるのだが、しかしそれはひとつだけではなく、相容れない複数の意見が示され質疑応答は紛糾し、意見は拡散して結局すべて曖昧なままだ。

 ...明確な答が出ないというのは、不幸な状態なのだろうか?
 挫折。徒労。失敗。不毛。プロジェクトを表象する形容語としてそんな言葉が何度も出てくるにもかかわらず、全体のトーンは、爽やかとまではいかずとも決して悲観的なものではない。それは科学者たち、とりわけ語り手である数学者のパーソナルな研究スタンスに基因するのかもしれないが、むしろ、小説全体に貫かれている懐疑主義的な視点に導かれていると思う。
 安易な結論·解答に帰着して安心し切ってしまうのではなく、絶えず問い続けること、あらゆる仮設的到達点に対して、別様性を提示すること。その方が、暫定的にすぎないであろう答らしきものに満足するよりも、総体的な可能性を押し広げるための駆動因になる気がする。





“枯草熱”

 “天の声”とはまたテイストが全然異なる作品。

 「枯草熱」というのは、花粉症の古い呼び方らしい。この枯草熱を持病に持つ元宇宙飛行士が、ある不可解な事件の捜査に加わり、被害者とまったく同じ条件に身をおいて死因を探り当てようと試みる話。抽象的議論に終始する“天の声”と異なり、こちらは具体的な物事に溢れている。

 事件の舞台はイタリア。主人公は被害者の軌跡を追って、ナポリからローマ、さらに専門家の意見を求めてパリへと飛び、移り変わる風景とそれにオーバーラップする心理状態とが克明に描写されていく。
 とくに冒頭でのローマへの旅路は臨場感が際立っている。昼から夜、通り過ぎる雨、列をなし行き交う車、そのように流れゆくさまざまな事物がハイウェイの上でひとつに溶け込んでいくようなものとして描かれ、読み手の意識を共に運んでゆく。死因不明の被害者と同じ行動・行程を取ることによる主人公の緊張が、枯草熱による体調不良と合わさって、旅は次第に幻覚に近付いていくような様相を見せ始める。


 “枯草熱”では“天の声”と同様に、ひとつの謎が用意され、これに取り組む主人公の姿が語られる。しかし“天の声”と異なり、ここでは最終的に一応の解答らしきものが示されている。全体がミステリーのような形式のものとして書かれているにもかかわらず、最後に示される「答」は、そうした形式から大きく外れたものとなる。それは「犯罪者」や「悪意」といったものと無縁で、かといって因果関係を無視した超常現象によるものでもなく、たまたま今回それが人の死をもたらすことになったが、同じメカニズムは他のあらゆる出来事に共通すると言えなくもないようなもの───言うなれば、ここで語られていることは、ある事象をどのように説明するか、という普遍的な命題なのかもしれない。つまりこの作品が問うているのは、迷宮事件の原因が何かということではなくて、説明する視点によって世界がどのように変わるのか、ということだ。ある視点からみて偶然にしか見えないものが、別の視点では必然に変わるということがあり得る。それは不可解で謎に満ちた出来事の背後に隠された唯一の真実、というものではなく、観察する視距離、あるいは観察のタイムスパンに応じて事象がどのように立ち現れるかという違いにすぎない。
 “天の声”では、降り注ぐ未知の信号を解読することは原理的に不可能であるかのようにも書かれているのだが、一方で、それは人間の現時点での知性の限界であって、より進歩すれば理解できるようになるかもしれない、というようなことも示唆されている。“枯草熱”のラストで為された説明は、そうした事態に近いかもしれない。もっともそれは進歩ではなく、機会の増大に伴う必然にすぎないわけだが。ともあれ、この二作品が一緒に収録されていることには頷けるものがある。このふたつは、同質ではないにしろ共通するテーマを別の切り口で語っている。





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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもう環 (ループ) を背負ってない”
―Angela Mitchell