“Blade Runner 2049”
Director : Denis Villeneuve
US, 2017
おもしろかったと思う。
物語としてわりとまとまっていた。
ヴィジュアルイメージの点では前作ほどの衝撃や新味はなかったかもしれない。とはいえ、冒頭での太陽光発電施設の威容や、地表を暗く埋め尽くす過密都市の谷間がところどころネオンの明かりを湛えている風景などは、純粋に映像美として魅力を放っている。
前作は結局のところルトガー・ハウアーの “I've seen things…” のシーンにすべてが集約される映画と言っていいと思うのだが*1、“2049” ではそういった究極の瞬間はない。途中に訪れるツイストは作中のひとつの衝撃ではある。でもその後はある種の諦念から受容への道筋。最終的に訪れるのは穏やかな境地で、心へ浸みるような余韻を与える。
いくつかのキーワード
記憶の製造者
前作でも重要だった「記憶の真偽」という要素は今回も引き継がれている。「真/偽」「現実/幻想」が曖昧になっていくというテーマは前作にかぎらず現代フィクションが追求する定型のひとつになっていると思うけれど、本作品ではその「偽」「幻想」をつくる側について具体的に触れているのがあたらしいと思う。
重ね合わせ
「ジョイ」シリーズの投影体。特に、生身の女性に重なり合うシーン。
また、カジノで昔のライヴ映像が背景に映し出されて格闘が繰り広げられるシーン。
親子
物語内でのキーワードであるとともに、この映画と前作との関係をそのまま指し示すものでもある。
作中で前作のシーンや出来事への言及がけっこうあるんだけど、それが作品そのものについて語ることに聞こえたりする。
特別
ジョイが主人公を「特別」だと幾度も繰り返す。
「特別」と「凡庸」というのは今回のストーリーラインの基軸。
仮に凡庸であったとしても誰かひとりにとっては特別であることができる。
天候
常に雨が降り続けるロサンゼルスの光景というのは、前作の雰囲気を決定付けていた大きな特徴。そのなかで唯一、瞬間的に青空が映るシーンがあって、物語上の最重要局面を効果的に演出していた*2。
“2049” では雨の他に、曇り、砂埃、雪と少しばかり多様性を増してはいるけれど、いずれも陰鬱な天候。そしてそれらと際立った対比を成すように陽光あふれるシーンが出てくるところがやはり一個所だけある。前作のように物語のクライマックスではないけれど、すべて見終わってから思い返すと、キャラクターの意味付けと将来への示唆を含んでいることがわかる。
この明るい光は本物のものではないこともポイント。フェイクの光が象徴として用いられている。これは本物/偽物(人間/レプリカント)という区別で本物(人間)が優位にあるという図式を覆そうとしているものだとも言える。
*1:このモノローグは wikipedia で一項目となっている程。https://en.wikipedia.org/wiki/Tears_in_rain_monologue
*2:バージョンによる。