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Less Than Zero?

2018-03-06

[]RとLの発音が(LとRではありません) 16:01 RとLの発音が(LとRではありません)を含むブックマーク

 おいそれと手の届くお値段ではないが、Rルフローレンのブラックレーベルは、ミリタリーっぽい肩章のついたカーキのシャツワンピースとか、古着っぽいレースのブラウスとか、昔のアフリカ探検隊みたいな麻スーツとか(笑)そういう若者の着るようなアメカジアイテムを、ものすごーく上質な素材や手のこんだ刺繍で大人っぽく仕立てていたりして、あまりの素敵さに時々クラッとやらかしそうになったものだった(お値段を見たら正気に戻るので大丈夫です)。だが、最近はRルフローレン(特にブラックレーベル)を見ると、メラニアトランプさん思い出して全然ときめかなくなったよ。真冬でもノースリーブに、寅さん羽織り(袖通さないやつ)のカーディガン的な。サファリルックに20センチヒール的な。Rルフローレンとしてはピン子のシャネルみたいなもので困ってるのではないかと思ったりするが、他国で爆売れすればいいのか。

 最近は知らないけど、昔はハイブランドの広告ビジュアルのひとつの定番として〈ファーストレディのような〉というのが多かった。SPがずらりと並ぶ中に一輪の花、みたいな凜々しい感じ。あれはジャクリーン・ケネディさんのイメージから始まっているのだろうか。あるいは、80年代以降の働く女性のイメージとしての、ファーストレディを飛び越えて「え、女性が大統領!?」みたいなSF設定としての、かっこいいスーツにピンヒールにレイバンのティアドロップのスーパーモデルがさっそうとヘリコプターとかプライベートジェットに乗り込むようなビジュアルもありがちだった。〈高嶺の花〉だけど、お飾りではなく自立した知的でリッチなパワーウーマンという究極の一流主義ってことだったんだろうか。クリントン政権の時に、ヒラリー・クリントンとバーブラ・ストライザンドがダナ・キャランを着て、イタリアやフランスのトップブランドに並ぶアメリカン・ブランドにした。それは、完全に後者の「えっ、女性が大統領!?」路線。嘘が本当かわからないけど、そのころダナ・キャランが始めたメンズラインのコンセプトが「ダナ・キャランを着た女性のパートナーが着るにふさわしい服」だったというのを何かで読んで「すげーな、大統領が女のお飾りになる時代!」と思ったことが懐かしい。そういう意味では、あの時代には遠い夢だった世界にヒラリー・クリントンは到達しつつあったのだ。到達しなかったとしても、それが可能だと皆が信じるところまでわずか10数年で至ったのだ。と、話はそれたが、メラニアさんのファッションは、世間一般のイメージとして浸透してきた〈ファーストレディのような〉的リアリティもないし、かといってケネディ夫人をほうふつさせると表されることも多かったミッシェル・オバマさんのように、相手や場所、時期によってデザイナーやデザイン、色などを細やかに考えて装うというおもてなし感もないし。素敵だけど、流行に敏感なモデルさんが「今年、寅さん羽織じゃないカーディガンなんてありえないわよ♡レディ失格♡」とか、そういう着こなしを見せてくれるお手本みたいな。

 そういえばソフィア・コッポラ監督『ビガイルド』で女性達が着ていた普段着も、とてもとても(ある時期の)Rルフ・ローレンを思い出させるものだった。南北戦争の頃のアメリカ女性たちの服。素朴なコットンのドレスや、スタンドカラーのブラウス。この時代のファッションを意識したコレクションをいっぱい出していた時期があって、あまりにも素敵でレースのスタンドカラーがついたプリント柄ダンガリーのブラウスとか、小花模様の長いワンピースとか買った。まぁ、私が着ると、忘年会で英語劇をやってる人みたいでしたが。それでも、街を歩きながら「オールド・ケンタッキー・ホーム」を口ずさみたくなる気分にしてくれたものだった。


 

2018-01-03

[]あけましておめでとうございます。 18:48 あけましておめでとうございます。を含むブックマーク

 昨年暮れのベルリン・フィル、ブロムシュテット指揮のブルックナー3番&マリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)のモーツァルト協奏曲第23番をiPadで観ながらゆるゆると仕事始め。ピリスさん(と書くと、日本で“ロベン・フォード”と書かれたロビンが「俺はロベンじゃねぇよ」と怒ったという話を思い出すが、こちらの名前がどうしても馴染んでいるのですみませんが)は、昨年、このブロムシュテット/ベルリン・フィルとハイティンク/チューリッヒ・トーンハレ管との共演を最後に演奏活動から引退することを発表。今年4月にN響共演とソロ・ツアーのために来日する予定で、それが本当の最後になるようだが、実質的には年末の2つの舞台がケジメの引退興行ということだろう。

 新年にどんな音楽を聴くかというのは、おみくじみたいなモノでもあると思う。けれどそれは神頼みとか運試しではなくて、自分が無意識のうちに選び取る昨年の反省と今年の夢なのではないか。と、思う。

 ピリスさんの凛とした音色。真冬の朝、静まりかえった世界にひとり飛び出して、降り積もった新雪を踏みしめて歩く。シャキ、シャキ。そんなささやかな音。ピリスさんのピアノの音色は、そんな風に響く。ささやかだけど、何ものにも代えがたい美しい音。背筋が伸びる。素晴らしい。引退を撤回してほしいと、誰もが思っている。なぜ引退するのかは、たぶん本人にしかわからない。他人の評価がどうであれ、命を削ってきた自分にしか見えないモノサシで生きてゆく人の美しさ。

 ブロムシュテット翁は、御年90歳。昨秋もライプツィヒ・ゲヴァントハウスと来日して、忘れがたいツアーをやってのけた。その溌剌とした、優雅で力強いブルックナーを拝見しているとしばしばお齢のことを忘れてしまう。けれど。90歳。ふつうなら飛行機で海外旅行することも周囲が心配する年齢。その仕事ぶりは、100歳を超えても世界中を飛び回っているようなイメージがあるけれど。ベルリンフィルのステージでは、椅子に座っての指揮をされていた。今、この瞬間に奏でる音楽を、明日、同じように奏でられるかどうかは誰にもわからない。おそらく生涯現役を貫く覚悟のブロムシュテットさんと、若くして引退を決意したピリスさん。正反対のようでいて、同じだ。誰のモノサシにも惑わされることなく、命を賭けて音楽と向き合ってきたひとたち。ときおり、まなざしを見交わすふたりの優しい表情からは、もう、なんというか「音楽」というものの秘密が全部あふれ出ているような気がする。

 昨年、Facebookでライブ配信されていたブロムシュテットさんの来日会見を観た。長寿の秘訣を訊ねられて、シベリウスとチャーチルを例にあげて笑わせたりしながら、最後に「今に感謝すること」とさらりと答えた穏やかな笑顔が忘れられない。あたりまえのような言葉だけど、彼の言う「今に感謝」という言葉だからこそ同じ時代に生きる私たちへの贈り物のように響く。今に感謝、という言葉は自分自身が積み重ねてきたものへの誇り、これまでの人生の肯定なのだと気づかされる。


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 そんなわけで。今年は、心から素直に今に感謝できる人間になりたいです。

 昨年は、初めて胸を張って自著といえる本を出すことができて。今まではものすごく受け身で、必要とされる場所で、書いてほしいと言われることを書くのが仕事なのだから、需要がなければ書くことはできないし、あわよくばそれを楽しむことができたら最高だけど、そんなことは滅多にないのはあたりまえと思ってきて、自分の書きたいことが、世の中の需要と合致することはない。と思ってやってきました。けれど、今、自分が書きたいと思っていることを書かせてくれる人がいて、書けて、誰かに読んでもらえるってこんなに幸せなことなんだと、この歳になってようやく知りました。そんなわけで、神様、私はこれまで、自分がやりたいことをやる勇気もないくせに、ものすごく欲深い人間でした。でも、去年は、いくら欲深くなろうとしても、公私ともにこれ以上のことは望めないくらいに、これ以上のことを望んだらバチが当たる素晴らしい1年でした。客観的に見れば、大変なことや不幸なこともたくさんありましたが、それを経験したことで学んだことも多くて、苦労も含めて最高の1年でした。振り返ってみて、自分で「いい1年だった」なんて素直に言えるのは初めてのことかもしれない。なにせ、欲深かったから。幸運な出来事というのも、結局、自分がそれまで積み重ねたものの上にしか訪れないこともよくわかりました。だから、今年はもう何も望みません。ただ、自分にできることを全力でやれますように。怠けませんように。年末には自分がどうなっているのかもわからないし、そもそも、生きているのかどうかもわかりません。けれど、やがてやってくる最後の瞬間も「今に感謝」できる日々を過ごせますように。

 ところで、余談ですが。ベルリン・フィルの有料配信サイト“デジタル・コンサート・ホール”の年間会員になって、私はまだ5年くらい(あれ、もうちょっとかも?)なのですが、ここ3年あまりの進化がめざましい。以前は生中継回線はブツブツ切れまくるし、まぁ、お安くない会費も未来に向けての投資かなとプチ・パトロン気分も3割くらいの感じで払っていたのですが。次々と世界最先端技術の企業や技術者とタッグを組み、間違いなく近々に世界初コンシューマ向けハイレゾ生中継映像配信……なんていうSFみたいなことをやってのける最初の音楽組織になりそう。以前はちょっとお高めと感じていた会費も、今では申し訳ないくらいお値打ちに思える。で、だいたいこういうサイトは、技術の発達と予算拡大によって「より進化したサイト」にしたつもりが結局、改悪でしかない場合が多い。すべてが改悪でないとしても、以前のほうがよかったのに的な面は必ず出てくる。それは、規模が拡大すると人員も増えて、専門家らしき人たちだの何だの愛情のない門外漢が増えたり、ユーザー感覚を理解しないビジネスマンが口を挟んだり……という、いちばん意味のない“船頭大杉”状態に陥るのが原因。そういう意味でも、ベルリン・フィルは“改善”ばかりで“改悪”を感じる箇所はなく本当に成功している。ミュージシャンである楽団員が配信サイトの運営も主導権を握っているというのが勝因だと思うのだけれど。いまだフィジカル至上主義のアナログなクラシック界において、世界最高峰のオーケストラがデジタルへの挑戦の最先端を行くというのは、ものすごくノブレス・オブリージュ的な騎士道精神を感じてカッコいいです。

2017-12-26

[]【デュトワ問題を考える覚書】 23:18 【デュトワ問題を考える覚書】を含むブックマーク

 米国で最も長く続いていた音楽ラジオ番組、アルトマン監督の遺作の舞台にもなった『プレイリー・ホーム・コンパニオン』までもが、ギャリソン・ケラーのセクハラ疑惑にて一発終了(番組名変更でクリス・シーリーがホストを務めるライブ番組として継続)の米国。これを過剰反応とかヒステリーとか批判するのは個人の自由だが、これまで百年以上も当たり前とされてきた不平等がようやく修正されつつある未舗装の道なのだから荒れるし揺れるのは当然だと思う。そんなわけで、アメクラ的にはレヴァインとデュトワ。特にN響の名誉音楽監督で、日本にもしょっちゅう来ている人気者のデュトワがどうなるのか気になるところ。米国に関してはフィラデルフィア、ボストン、NYと親交の深い主要オーケストラが無期限でおつきあい停止、名誉職の肩書きも返上。芸術監督を務めてきた英国ロイヤルフィルも、本人との対話をもった上で同様の決定。今、米国の風潮としては、発覚後の対応はどんどん迅速になっている。対応が早くなればなるほど、訴える側も急いで策を講じるわけだが、昨今はそれを追い越すかのようにたくさんMe Tooの声が続いていることに時代の変わり目を実感している。

 疑わしきを罰しているのではないかという意見もあるけれど、これは訴訟国家の合理的な危機管理。これは民間組織が彼らを罰しているのでも擁護でもなく「法的に無実または事実が明らかにされるまで関係を停止」なのだから、無実なら「あーよかった。これからもよろしく♡」と関係を再開できる。めでたし。で、万が一にも事実であることが証明されたなら言わずもがな。そんなわけで、音楽界に限らず芸術全般において、ちょっと時間差をおいて、しばらくしたら現在の米国での問題の日本での対処が問われる時期がやってくる。ので、NHKがこの問題にどのように対処するのかを非常に興味深く見守っている。今のところ「法的に明かになるまで関係停止」が基本の米国とは正反対で、「法的に明らかになるまで関係継続」という非常に日本的なステートメントが発表されている。リスナー側はどうかなとSNSを見ると、これは日本に限ったことではないが、とんちんかんな「芸術と人間性は別」というミスリードが連発されていて(別なのは当たり前じゃ)、なんか、クラシックファンの男性は社会的地位も経済力もそれなりの方が多くて、まぁ、なんつーか、やっぱり日本のクラシック愛好者のミソジニー率は高いんだなとあらためて実感している(笑)。実際、レヴァイン&デュトワ問題について触れると「オレは音楽しか評価しないから」云々という殿方の多いこと多いこと。ただ、各地元紙を見る限り、どのオーケストラも決してスクープ記事に躍らされたのでも、勢いで大巨匠を放り出しているわけでもないように見える。業界ネットワークもあるし、組合もしっかりしているし、当然、団員へのヒアリングもしているだろう。

 で、N響&デュトワは今月中旬に共演したばかりで、次は1年後ということなので幸い時間はあるので、とりあえず処分保留のまま今後じっくり策を講じるのだろう。ちなみに公式サイトでは、名誉音楽監督として堂々と掲載されたままだ。静観という名のおもてなしか。とはいえ、デュトワの場合、今回、N響とも縁の深いファビオ・ルイージの奥さんまでもが、報道を受けて、オーケストラ団員だった若い頃に自分もデュトワにセクハラを受けたことを公にしているし。なかったことでは済ませられないので、日本としての危機管理の見本となるべき見解を示さねばならないことになるのだろう。とにかく、私の願いはただひとつ、今後の日本がセクハラ失脚の芸術家たち(すべてのジャンルの)の駆け込み寺にならないことだけを祈っている。しかし、奇しくもこんな時期にアルゲリッチねえさんが、かつては「男しかいないオーケストラに興味はなかった」から共演してなかったというウィーンフィルでデビューを果たしたという素敵な出来事が報じられる……というのも、なかなか、深い。人類はまだまだ前に進んでゆく。

2017-12-22

[]アルマ・ドイチャーの『シンデレラ』 21:47 アルマ・ドイチャーの『シンデレラ』を含むブックマーク

 現在12歳のヴァイオリニスト/ピアニスト/作曲家(!)、英国人アルマ・ドイチャーが10歳の時に作曲した初めての(あたりまえだ)長編オペラ『シンデレラ』。そのフルオーケストラ版がサンホセ・オペラで米国初演され、現在medici.tvでのライブストリーミングを鑑賞中(21日)。まぁ、確かにモーツァルトじゃんと言われたらそれまでかもしれないが、しかし、それを書き抜く情熱と勢いで魅せる。若書きと言われるかもしれないが、10歳なんだから若書きに決まってんじゃん! それでも、なかなか風格のある美メロで聴かせる。しかもキャッチー。クラシカルで、なおかつミュージカル的でもあり……いや、かなりミュージカルかな。ポップ・オペラ・ミュージカルという新ジャンルを作ってしまえばいいのかもしれない。10歳の少女が憧れるプリンセス・ストーリーのリアリティもあるし、オペラ入門にもってこいの様式美も押さえているし、時に笑いもある。まさにアンドリュー・ロイド・ウェーバーの国の音楽文化、ではないか。継母と娘たち3人でガールグループ風になるところのポップさなども楽しいし。なんといっても、このオペラの見所は、ここぞのフレーズではシンデレラ風のドレスを着たアルマちゃんが登場してヴァイオリンを弾くのだ。これがまた可愛らしい。ヴァイオリンのための管弦楽曲ならぬ、「ヴァイオリンのための歌劇」ってなかなか新鮮ではありませんか。先月米CBS「60ミニッツ」でアルマちゃんの特集が組まれたそうで、このサンホセ・オペラ公演も追加公演が出るほどの人気。さらには公演期間中にヴァイオリニストとして協奏曲を弾くコンサートにも出演するそう。「神童」好きの米国では、人気出るかもね。

 アルマちゃんの無邪気なたたずまいや、好きなものに囲まれたガーリーな子供部屋みたいな作品なのに不思議とオトナっぽい感じとか、そういうのも含めて彼女のこの感じ、ものすごく好き……こういう、銀のスプーンくわえっぱなしの神童ガーリー・テイストは前にもあったけど何だったっけ?と考えていたのだが、二幕のベルばら感あふれる舞踏会のシーンを見ていたら思い出した。ソフィア・コッポラだ。コッポラ、スコセッシ、アレンという3大監督によるニューヨークをテーマにしたオムニバス短編集『ニューヨーク・ストーリー』で、当時17、18歳のソフィアが脚本と衣装で参加したコッポラ監督作『ゾイのいない人生』。実のところ、この映画、ソフィアの仕事で今でもいちばん好き。VHSの時代から、年に1度は見返す。最近ふと思ったのだけれども、もしかしたら私にとっての“アメクラ感”というのもこの映画が原点かもしれない。世界中を飛び回っている有名音楽家を両親に持ち、高級ホテル住まいのおませな女の子・ゾイ。この映画だって『エロイーズ』っちゃエロイーズだけど、しかしそんなことを超越して魅了する愛おしさがある。今になって観るとよくわかるけど、父が監督とはいえ、ストーリーも映像も今のソフィア(またはロマン)っぽい。ゾイと同級生の女の子たちが全員なんてことなくフツウにシャネルを着て、つまらないオトナのように噂話をしていて、もう、それがたまらなく可愛い。現実だったら単なる生意気クソガキ様なはずなのに、全然そう思えないのは、そこに十代のソフィアの目線があるから。そして、その目線っていうのは今のソフィアの中にまだ生きているような気がする。

2017-09-12 グレン・グールド『ゴールドベルク変奏曲 コンプリート・レコーディ

[]【グレン・グールド『ゴールドベルク変奏曲 コンプリート・レコーディング・セッションズ1955』第一印象&スペックmemo】 21:31 【グレン・グールド『ゴールドベルク変奏曲 コンプリート・レコーディング・セッションズ1955』第一印象&スペックmemo】を含むブックマーク

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 グレン・グールド生誕85年を記念した『ゴールドベルク変奏曲 コンプリート・レコーディング・セッションズ1955』。56年のデビュー・アルバム『ゴールドベルク変奏曲』が録音された、55年6月におこなわれた4日間のスタジオ・セッション全テイクを含むCD7枚+アナログ1枚+280ページという物凄いボックスは、ある意味、ものすごくアメリカン・クラシック的なリイシュー。いや、それよかロックンロール的なリイシューなのかな。もともとオリジナル・アルバムからして、バッハをロックンロールさせてクラシックの歴史を塗り替えた作品だったわけだし。まぁ、ロックンロール的なリイシューで然るべきなのかもしれない。録音2日目からは多少曲順を行きつ戻りつしながら弾いていたということで、収録は時系列ではなく作品番号順に並べられているものの(ただし、実質ほぼ時系列でもあるのだけれど)最初のアリアの1音目から最後のアリア・ダ・カーポの1音まで、そしてプロデューサーのハワード・スコットとのスタジオ内の会話もすべて収録されている。

 これを聴いたロックンロールおたくは、かつてフィル・スペクターやビーチ・ボーイズのスタジオ・セッションを会話までまるまる収録したブートレグが世にお目見えした時の胸躍る体験を懐かしく思い出すのではないだろうか。スペクターが偏執狂的に何度も何度も同じフレーズをミュージシャンたちに指示する声は実に生々しくて、ヘッドフォンで聴いていると、自分が当時のゴールドスター・スタジオにいるような錯覚に何度も陥ったものだ。そんな感じ。時に長々とバッハの心境を代弁し、時にちょっと苛立ちながら自らの意図を伝えながら、その演奏によって作品がだんだんと色づいてゆく様子を、我々は今、ドキュメンタリーや書物で断片だけ知っていたスタジオ内でのグールドの振るまいや会話を実際に耳にしながら体験することができるのだ。これまでわずか20分弱が発売されているだけだった未発表音源が、どういう経緯かは知らないがグールド財団の全面協力により今回5時間超すべてまるっと出ることになった。クラシック音楽で他にこういう形でのリイシューがどれだけあるのかはわからないけれど、私のようにマニアでない人間でさえもが何度も何度も同じ曲を弾くうちにどんどん音楽が“カタチ”になってゆく様を目の当たりにしてドキドキし、ワクワクし、時に鳥肌まで立ってしまうコンプリート・スタジオ・セッションを聴いていると、やっぱりグレン・グールドという人が果たした功績というのはとてつもなかったのだと痛感する。

 フラットマンドリンでバッハ無伴奏を完コピをしたクリス・シーリーが最初にバッハにのめりこんだきっかけも、グールドだったという。そういえば萩原さんに言われて気づいたのだけれど、オリジナルのデビュー・アルバムが発売されたのは、偶然にもエルヴィス・プレスリーが「ハートブレイク・ホテル」で全米デビューしたのとまったく同じ56年1月なのだ。アメリカでロックンロールが生まれた時、そこにグールドがいた。その“地続き感”をいやというほど実感することができる今回のボックス。だから、そのリイシュー仕様にしてもまったくもってアメリカ的、ロックンロール的だ。ごくごくふつうにソニー王道なリイシューではあるけれど、アートワークのカッコよさから何から何まで、とってもソニー。とってもアメリカン。

 とりあえず、これだけのミュージアム・クオリティのヒストリカルでレジェンドな箱が1万円切る値段で手に入るというのは、この時代に生きている我々とグールドさんの「縁」。ご興味があって、購入を検討されている方もいらっしゃると思うので、まだ全部は聴けていない(だって、今日届いたんですよ)のですが、とりあえず手元に現物が届いた者のレポートということでわかる範囲のスペックをご紹介しておきます。たいがいのことは公式、通販サイトで見ることができますが、まぁ、紙ジャケが案の定ぼろいとか(笑)そういうことなども気になる方もおられるかと思うので、とりあえず自腹購入者で原稿執筆の義務も予定もない者としての率直な感想を自分メモを兼ねて書いておきます。ご参考になれば幸いです。

  ※あ、でもERISの連載では書くかも。

  当然ながらマニアにとっては非常に価値のある箱(ま、実際、マニアからすればいろいろと贅沢は言いたくなるのでしょうが)であると同時に、初心者にとってもグールドを軸にバッハを深掘りすることで得られるものは多く、これだけ素材がたくさんあって、自由に想像を巡らせながら聴くのはそれだけで本当に楽しいと思います。クリス・シーリーやエドガー・メイヤーやヨーヨー・マが、なぜ、バッハを媒介にクロスオーヴァーしようとするのか、彼らが「バッハにすべてがある」と言うのはなぜか……そういった事柄を解く鍵にもなるかと思います。そして、クラシック専門家には何の意味もないことだとは思うけれど、この録音が1955年に行われていることの奇跡……というのも、ロックンロール・ファンとしてはあらためて味わいたいものです。

【CD】収録時間6時間52分

●Disc1〜5:1955年6月10〜16日の間に行われた4日間のセッション全テイク。

 ※プロデューサー、ハワード・スコットとの会話を含む。

 ※CDレーベルはマスターテープ柄。ちなみにパッケージにもスコッチの赤チェック柄をちらりとあしらってるのがおしゃれ♡

●Disc6:81年のゴールドベルク変奏曲再録盤発売時の販促用インタビュー

w/ティム・ペイジ

 ※初商品化は、56/81年盤をカップリングしたLP3枚組(84年リリース)。

●Disc7:56年デビュー盤のファイナル・エディション最新DSDリマスター

 ※2015年リリースと同マスター使用。アナログと同じく紙ジャケ。

【アナログ】

Disc7と同内容。チェコGZメディアプレスの重量盤。未聴なので音質はノーコメント。

紙ダブルジャケ。細かく言い出すときりがないので言いませんが、やはり、紙と書いて神と呼ばれるw日本の精巧紙ジャケと比べると雑なお作りなのは否めないがUS盤なので仕方なし。まぁ、すぐ糊がぺりぺり剥がれそうなのも含めての復刻と思うの推奨(笑)。

【ブックレット】

 表2&3にCD7枚収録したハードカバー本仕様、280ページ。オールカラー。英語/独語/仏語。

・文章ものはプロデューサー、エンジニア、当時のNYソニースタジオについての解説。56年発売時のプレスリリース、雑誌記事等

を含む再録&書き下ろし評論・解説。などなど。既出もの除いてもかなり読みごたえあり、なので対訳とてもありがたし。

・Disc1〜5のスタジオ内全会話のスクリプト(←これがとても嬉しい!大事!)

・演奏箇所を赤字で示した楽譜(これも素人にはとてもわかりやすくありがたい)

・初出を含むスタジオ写真(マニアでないので初出がどれくらいあるのかわからないけれど、例のかっこいい写真の別テイクどっさり。かなりNGと思われる半目系の写真も)

・アナログマスターの外箱、レーベル・コピー、契約書類などなど、とにかく残っている資料の現物スキャン写真ありったけ全部掲載の模様。

【対訳】

 日本のソニーミュージックレーベルズからの出荷分については、主要記事の対訳および宮澤淳一氏による解説を掲載した日本独自ブックレットつき。ありがとうございます。本当にありがたいです。ちなみに、アマゾンやタワレコでの正規販売輸入盤(日本語での商品解説があるもの)はソニー出荷分です。米アマゾンとかで買うとついてません、あとマーケットプレイスから出品している業者から買ったものについては対訳ナシとか転売ヤーの可能性高いのでご注意ください。

なお、56年発売時のグールド本人によるライナーノーツおよびDisc6収録のティム・ペイジとの対談についてはそれぞれ既発の日本盤CDに収録されているのでCD買ってねとのこと(そうは書いてませんが、そういうことだと思います。確かにこれはライナー欲しさで盤を買った人もいるでしょうから仕方ない)。

【ポスター】

  ピアノ弾いている例の横顔写真バージョンの大型ポスター。ただし6つ折りくらいになってるので役に立ちません……まぁ、ユーエスエーの仕事なので。

【重さ】

  全部で約5キロだそうです。重いわ。日本の住宅事情への考慮なし。

 ※ブックレットがっつり読みたいが、表紙が相当にごっつい上にCD7枚がっつり入ってるわ、本文の紙も厚くて上質だわで、手にとって読むと腕がしびれるし、ヒザに載せるとヒザがしびれます。理想としては、何も置いていない広い机(←社長の机みたいな)に広げて読むのが体力的におすすめです。

【価格】

 私はタワレコオンラインで予約購入。\12193→税込\9298(うちクーポン\700利用)

 

 ちなみに最安はAmazon.jpの\8833ですが、今日現在「1~2か月内に発送」になっちゃっている)。HMVローソンは\14364がメンバー価格\9998、マルチバイ価格だと\9337。

 しかし、この商品に関しては価格というよりも店頭で買ったら家まで持って帰る間にギックリ腰になるリスクのほうが高いので、ネット購入を強くおすすめいたします。