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  映像研究

ジンジャーエールとか買って飲んだ。

 
・微妙に微妙な晴天のもと今日こそはと木場方面へ。木場公園ではすっかり散ってしまった桜の木の下でBBQする人もあり。それを花見と呼ぶべきなのか、なんと呼ぶべきなのか、考えているうちに現代美術館。


川俣正 『通路』 会場: 東京都現代美術館
スケジュール: 2008年02月09日 〜 2008年04月13日
URL:http://www.kawamata.mot-art-museum.jp/


MOTアニュアル 2008 解きほぐすとき 展』 会場: 東京都現代美術館
■出品作家:金氏徹平、高橋万里子、立花文穂、手塚愛子、彦坂敏昭
スケジュール: 2008年02月09日 〜 2008年04月13日
URL:http://www.mot-art-museum.jp/blog/staff/mot2008_/


川俣正という人の『通路』展について、特に予備知識もなく、それゆえとりたてて大きな期待もせずに、しかしこれはある種の必修科目であるから、というテンションで観に行ったのだけれども、その予想を超えて「よくわからない」展覧会だった。あるいは自分としては、先日の「ネグリ@芸大(来てないけど)」のトークイベント『芸術とマルチチュード』における、川俣正という人の「弱い思考とワーク・イン・プログレスについて」のような発言の印象から、(分かりやすい意味で)今自分が考えていることにとっての知的なヒントとなるような何事かを、逆に期待しすぎていた結果ゆえの「よくわからなさ」だったのかもしれないな、とも思うのだけれども、いずれにしたって会場にいらっしゃった「ワーク・イン・プログレス」的なことをしておられた方たちが、あまり楽しくなさそうだったことだけが印象に残る不思議な展覧会だった(あるいは丁度「だれてる」時間・時期に行ってしまったのかもしれない/そしてこれはやや穿った印象かもしれない)。


・しかしそんな中で自分にとって最も刺激的だったことは会場のカフェ部分で(ジンジャーエール買って飲んだりしながら)パラパラした展覧会の図録に収録されていた「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠という人と作家・川俣正との対談であって、ここでは両者が「路上生活者を具体的に支援する人」と「路上生活者を観察することから何事かを発想する人」という、ある事柄に対してまったく違ったアプローチをする立場であるとされている(ように読める)。そしてその上で湯浅誠という人から川俣正という人へ、文字に起こされた口調こそ極めて冷静であるものの、とてもシビアに「現代芸術と呼ばれるものへの根本的な疑問」が投げかけられている(ように読めた)ところは(多分唯一)この展覧会においてまったく異なった視点を取り入れているという意味で、とても面白かった。(あるいはこの部分に興味を持ったのは偶然にも先日この「もやい」を舞台にしたドキュメンタリーを見たことも少なからず関係があるかもしれない)



・といったような意味でいえば、自分としては例えば会場の「路上生活者がいると思われる場所の情報をマッピングする(ことに鑑賞者が参加する)ボード」のようなものを展示していることとかについては、それを展示するという行為に特にアイロニー的なものも感じられず、またそうであるがゆえにその展示(作品?)が「自治体をクライアントに持つ中規模な広告代理店のプランニング・ルームの一部」のようなものに見えるという意味において、美術館に展示される意味が「よくわからない」ということなのだけれども(ちなみにこの場合の「アイロニー的なもの」はたとえば「chim↑pom」の『スーパー☆ラット』のようなものを想定していたりする)、しかしそういったことを特に考慮しなければ、この展覧会はもうちょっと別の何かとして楽しめたり、あるいは別の基準の視点から何か学べたりするのかもしれないなぁとも思う(そのあたり含めてよくわからない)。



・そして「通路」を移動する。同じく会場に展示されていた現代美術チーム「wah」の作品「反対」の記録映像に、正しく現代的な意味でのユーモアのありかたを思いつつ、別の展示室の『MOTアニュアル』では、金氏徹平という人のワークスに感銘(?)を受ける。その後清澄白河の一連のギャラリーに移動して何度行っても要領をつかめないエレベーターに手こずりつつも、色々鑑賞。更に地下鉄を乗り継いで東京都写真美術館に移動したならば『マリオ・ジャコメッリ』展も鑑賞。「ジャコメッリ」?「ジャコメリ」じゃないのか、ずっと「ジャコメリ」って言ってたよ?とか何とか思いつつも、いずれにしても「Mario Giacomelli」と言えば、唐突だけれど「Josef Koudelka」と「Emmet Gowin」と並んで、自分としては学生の頃の「3大・モノクローム写真の偉人(お洒落具合込み)」だったりするとかしないとか。閉館間際にゆっくりと鑑賞する。鑑賞する一日。