道に迷い悟る

Mejiro2006-07-13

パルアルトから2時30分以上かけて知人を訪問した。かなり丁寧な地図をもらっておいたのだが、道に迷った。本来北東にいくはずが北に向かっていた。いくら走っても目印にしていた表示が見えず、途中でフリーウェイを降りた。朝早くの時間だったが、幸い女性が車のそばで電話をしていた。彼女に地図を見せながら、「ここはどこなのか」聞いた。あとでわかるのだが、大きな地図になじみが無いようで、その場所を探すのに手間取った。すると、目の前が自分の店なので、そこで検索してくれると言う。

そこで彼女が使ったのがmapquest
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現在の場所と行きたい場所の住所を指定すると、どこで曲がり、どれくらい走るのかをすべてリストにした検索結果が得られる。これを印刷してくれた。日本で言う乗り換え案内の道路版というところだと思う。

日本ではいつもカーナビに頼り切りですっかり地図を片手にドライブすることから遠ざかってしまった。おかげでドライブをする前に大まかな方向と場所しか記憶しない癖がついていた。近辺にいけばカーナビが案内してくれるからだ。彼女とmapquestのおかげで、無事約束の時間に到着できた。

こんな経験をしながら、ふと「戦略」と「計画」という言葉が思い浮かんだ。日本の企業では「戦略」と「計画」を同じ意味で使うことが良くある。しかし、今回の例が良くも悪くも良い例。

  • 旅行の様々なオプションのなかから2時間30分かけて知人を訪問しようと決め、大まかにその方向性とゴールを定めることが「戦略」
  • mapquestが示してくれたように、戦略で定めたゴールに到達するための詳細な道筋を示すことが「計画」

と説明するとわかりやすくないだろうか。

このどちらも重要なことは言うまでもない。そもそも、なぜ2時間30分かけて目的地に到着するという目標に合理性や論理を見つけ、関係者を納得させなければならない。そして、当然のことながら、そのゴールに達成するための経営資源(金、人、時間など)の配分と方法を決めなければならない。ただ、「戦略」の詰めが甘いと「計画」で苦しむのは良くあることだ。今回のケースと良く似ている。

話は戻るが、彼女は私がロスアンジェルスで購入したアトラスの全米の道路が(アバウトに)記載されている地図をみて、すぐに自分の居る場所が発見できなかった。どうやら、地域限定の地図しか彼女の生活には必要がないようだ。地図を見て「これは良いね」のようなリアクションまで見せた。

「戦略」と「計画」も同じことかもしれない。平和な日常生活を送っているときには「戦略」を考えもしない。「計画」だけで充分生きていける。

 記念に無線LANアクセスしてみる

スタンフォード大学に立ち寄り、マウンテンビューにあるGoogleの近辺を走り回る。
スタンフォード大学には驚いた。こんなにも美しいとは。古代ギリシャ風の建物が、ものすごい広大な敷地に並ぶ。写真だけでは物足りず無線LANにアクセスしてみた。残念ながら記念になるようなものは何もなく、WEPキーが必要とあっさりと断られる。

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そのあとでGoogleのあるマウンテンビューへ。Googleが無料で広告入りの無線LANの提供実験をしているという。ぜひ試してみたいと考えた。マウンテンビューのダウンタウンをずいぶん走り、ウォードライブをしてみたが、それらしきものは発見できず。Googleのそばでゲスト向けのアクセスポイントを発見した程度。

こちらの業界関係の友人に尋ねたところ、この無線LANの実験はたった2人で行っているといわれているそうだ。そして、遅すぎて使い物にならないという評価らしい。おまけに、「ネットワークの中立性」といったことを主張しているようだが、その無線LANの計画では速度に応じて料金を変えようなどの計画とか。あまり中立でない感じがするところがご愛嬌。
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マウンテンビュー、いまいるサンノゼともに駅がある町。両方ともこじんまりとしたたいへん気持ちのよい場所だ。その昔、ロスアンジェルスでは治安が悪くいつも緊張していた。こんな町に住めばずいぶんと気楽な暮らしができただろうな。

 コミュニケーションツール

今回はプライベートのため、英語での会議ですべてが理解できない気持ちの悪さとか、英語でのプレゼンの準備などの一切のプレッシャーが無い。そのため、じっくりといまの環境を見つめられる。夜眠れなくても全く気にならない。初めての地で道に迷うことすら楽しい。いや、むしろ多少のトラブルや失敗から学ぶことが多い。これが仕事となると一切の遅れも許されないので完全にアレンジをしておく。移動だって一番リスクの少ない方法を選ぶ。

そんな余裕があるのでコミュニケーションツールも思う存分試すことができる。ラップトップひとつあればたいていのことができる。GoogleGmailでメールをやりとりするのは当然。GoogleTalkで家内や娘とチャットも行う。友人とGoogle Talkで音声会話までする。Google Calendarは家内と共有しているのでスケジュールも双方が同時に把握できる。Google Newsでニュースは日本と同じにわかる。
また、旅の記録や考えたことはメモかわりにこのブログに書き込める。先に紹介したようにExpedia.comで急な予約も簡単。mapquestで地図さえ不要だ。
ケータイも本当に便利だ。国際ローミングしているので、ふつうに友人から電話がかかってくる。ケータイでメモかわりに撮影した写真もすぐにGmailに送り保存できる。家内にも新しい発見をシェアできる。

一昔前に、この世の別れとばかりに単身で留学した時代を思うと隔世の感すらある。あの時の国際電話には本当にありがたさがあった。海を越えて人と人をつなぐという仕組みはなんてすごいのだろうと思った。家内や友人からの電話に何度も胸がつまったものだ。

そう考えると、コミュニケーションツールは貴重だが稀少ではなく、情緒よりは便利を提供するものになったのだろう。それも、わずかこの数年でのことだ。ただ、そんなうまい話ばかりではない。どこかにひずみがないかとずっと気になっている。