クリスマスいろいろ

「クリスマスの苦しみ」を読んで

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1222/161454.htm?o=0&p=0
これを読んでいて、なんか懐かしい気分になった。
ケベックに住んで最初の数年は、丁度ここに書かれているようなクリスマスを過ごしていた。
あるある、どうしようもなく泣きたくなるようなプレゼントって。
ヘマタイトという石(重いし、色も嫌い)を使ったアクセサリーセット(ネックレス+ブレスレット+ピアス)や、鼻が曲がりそうなくらい大嫌いな香水、まるでストリッパーのような下着、フランス語で書かれた分厚い哲学書、もうすでに持っているCD、オリンピックのメダルのような巨大なペンダント、下手に首を回すと凶器に早変わりするイヤリング、などなど。
クリスマス料理も、欧米人たちと私たち日本人は、基本的に胃腸の作りが(絶対に!!)違うから、最初は美味しくても、だんだんと苦痛になって来るのよ、あの「油」が。最初から不味いのは、もう不運としか言えないけどね。
プレゼント交換の際、お互いのプレゼントを見せ合って喜ぶフリをしては疲れ、プレゼント交換後の山のような包み紙やリボンをかき集めて捨てては疲れ、酒で呂律の回らない+ケベック方言のフランス語の会話に「ウィ、ウィ(はい、はい)」と分かったように笑って応対しては疲れ、欧米人たちの驚異的な体力と胴間声に頭が痛くなり、油まみれの肉料理で吐きそうになり・・・。今では笑い話だが。

笊 ZARU

そうそう、夫の会社のクリスマスパーティー、これもなかなか悲惨だった。
軽く200人は超える会場でのプレゼント交換会、あれは地獄だった。最後の人が終わるまで数時間に渡ってのプレゼントの披露?と拍手の繰り返し、冷め切ったミートパイや、砂糖の塊みたいなバカでかいケーキのデザート、その後にも延々と続くディスコパーティーやボーリング大会・・・幸運にも、数年前からその苦しみからは解放されたけどね。
毎年違うパターンが用意されていてそれなりに面白かったけど、静かな湖畔のレストランでの美味しいディナーなんていう年は超ラッキーだった。
カルチエ通りのレストランが会場の時は、食事中いきなりベリーダンサーたちが雪崩れ込んで来て、観客に身体を擦り付けるように執拗に踊り回るのがいつまでも続いたために食事は冷めちゃうし、この馬鹿げたサプライズに喜んでいたのは男性陣だけ。女性は目のやり場に困りながらも、踊り子たちの腹のメタボ度やウェストの括れなんかをしっかり自分と比較してたりして、ね。
時には社員の家族なんかも乱入していることも。以前誰かのご子息とかいう現役の警察官がいて、「飲酒運転にはご注意を!」とみんなに呼び掛けながら突然あの何ていうの?飲酒運転チェック機みたいのを出して来て、ちゃんと吸い口、じゃなかった、吹き口?もたくさん準備されていて、各テーブルを回ってみんな面白がって遊び半分にチェックしてもらっていたのね。ところが私の番になったら、そのチェック機がまったく反応しなくなり、警察官が「あれ?壊れちゃったかな?」と何度もリセットしてやってみるんだけど、どういうわけか私には反応しないのね、そのチェック機。そしたら会場が騒然となって、「あんなにビールやワインを飲んでいるのに、どうしてあなただけに反応しないのか!?」と全員総立ちになって私を取り囲み、私はそこで一気にヒロインの如く脚光を浴びることに。いや、ヒロインじゃなくて、ありゃ〜まるで見世物小屋的な感じだな。確かにかなりの量を飲んでいたので、みんなが驚くのも無理はない。それからが悲惨だったのだよ。10分置きぐらいにみんなで私をチェックし始めたのだ。どんなに飲んでもチェック機が反応しないので、それがまるで奇跡のように、「す、すごい!!」と、まるでオール馬鹿みたいなのである。その警察官も、「ボク、あなたのような人は初めて見ましたっ」と興奮状態。「いくら飲んでも警察にバレない体質なんて、なんて羨ましいんだ!!」と羨ましがられても、私はちっとも嬉しくなかった。だって、いかに肝臓に負担が掛かる体質かってことだよね、あれって。これが、若い頃からみんなから「笊」と呼ばれた所以なんだろう。

軸 JIKU

フランス系生活習慣で、最初はしんどいと感じたものも、この歳になると自分中心にアレンジ出来るようになるし、なにしろ料理を作ったり、その場を切り盛りするのが私なので、若い人たち(若くない人もいるが)をあれやこれや言って手伝わせたりする立場だし、子供たちも私を軸に回っているようなものなので、私自身がふらふら出来ない立場なんである。これってなかなかいいですよ〜。ここまで来るのに年数掛かるけどね。まだ海外在住年数が短かったりすると、フランス語社会の風習みたいのも分からなかったりして、日本での風習をそのままフランス語に直訳?したような表現なんかはかなりヒンシュクを買うものだ。そんな数々の失敗を繰り返しながら20年の年月が過ぎた。

23歳のノエル

恋人と二人だけで、南仏の小さな別荘で過ごしたクリスマス。
もちろんその前夜には、お約束の?彼の身内たちと一緒に七面鳥や山のような生牡蠣を囲む席に座り、男女交互に座る習慣を知り、しかもパートナーとはわざと離して座らせられるのも知り、それが嫌で泣きそうになり、驚いた身内たちが慌てて彼の隣に私を座らせ、まるで小さな子供みたいに彼のセーターをずっと掴んだまま放さずにいた若かりし頃の私だが、フランス語はトンチンカンな上、彼もあまり英語が話せず、どうやって愛を語り合ったのか、今思うと不思議だが、それも若さ所以のことだったのだろう。
その時にプレゼントされた香水は、今でも大事に持っている。瓶の底に微かにしか香水は残っていないけど。生涯忘れないクリスマスの思い出だ。彼は私に、安っぽくない生き方を教えてくれた。今現在50代後半の彼は、人生を大成させ、その嘗て私に教えてくれた生き方そのものを実行している。そんな彼を誇りに思う。