驚異の教祖、北村サヨ

天照皇大神宮教を開いた北村サヨは驚異の人(神)である。自分の胆(はら)に神が入り、それが宇宙の絶対神であることが次第に(2年かけて)わかるようになる。お釈迦様、イエス・キリスト様、そして自分だと。前の神人は家庭を持たずに説いたが、自分は百姓の女房で家庭を持ってとく。
この教説は実に深い。こう言うだけの本格的なものである。スウェデンボルグと同じ事を様々言い、もっと具体的でわかりやすい。宗教を生活の道具(収入や地位)にすることを厳しく禁じ、偶像崇拝も禁止。自分に与えられる仕事や職業、家庭での責任をはたす(その実行の過程で、自分の魂を磨く:これを行の実行という)ことを求める。利己心が諸悪の根源として、それの克服を求める。各人が徹底的に懺悔反省することを求め、自分の魂を浄化することだけが、天国への唯一の道であるととく。在家サンガ(僧団)を作っていくようでもあり、律の成立を指導してもいる。サヨの弟子の伝道の様は、キリストの弟子が伝道するようでもあり、釈迦の弟子が各地を伝道するようでもある。
エスキリストは私生児として生まれたのに、マリアの婚約者ヨセフは素直に受け入れたことを、あの時代の中東の風土では奇跡と言う人がいる(曽野綾子)。例えばサヨを学ぶと氷解する。
サヨが神になろうとした時、胆の神は、翌朝抜け出し、夫の枕を蹴飛ばして叱り付けた。おサヨが極寒の中、朝水をかぶり、昼水かぶり、真心込めて上げたいのりは確かに天に届いたぞ、それなのに、同じわが子でありながら、お前だけは祈りもしないで、枕を高くして寝ているとは何事だ。さあ起きて祈れ、祈れ。それから、神は度々夫(精之進)を指導した。
まあこれと同じく、ヨセフも現れた天使(神)に教えられ、イエスキリストが神の子であると信じたわけだ。
神通力も大変なもので、比類がないといえよう。しかし神通を振るう時と相手は選ばれている。
その教祖としての生活の激烈さは、河口慧海チベット行きの苦行にも劣らない。自分の取り分を完全に捨て、すべてを神に捧げた(凡人からみると痛ましい程)の生活である。イエスキリストが自ら十字架にかかりに行くのにも例えられる程である。
これを学ばない手はないだろう。
(注)2013年になって計算したが、この記事はブログ開始から2年222日目であることに気づいた。