エロゲの物語はテキストだけで作られるわけじゃない


『意味』というのは、常に、他の何かによって変動していくものです。
ある言葉の意味、あるキャラクターの意味、ある場面の意味。そういったものは、他の何かしら記述されているものによって、「それが持つ意味」「それが示す意味」を、常に変動させていきます。
例えば推理小説で、殺人現場に居合わせたある【A】という登場人物が、(作中(キャラクター)において、また読者において)最初はただの通りすがりの人物だったり、時には被疑者になったり、さらには被害者になったり犯人になったりと変動していきます。
「ある場面」でしたら、後に伏線になったり、後の出来事次第でその場面の善し悪しなども変わってくるでしょう(その時はチャンスを掴んだ!みたいに思えたけど、後々から考えてみると、あれがあるから今の困難があるんだよな〜、みたいな)。


「テキスト」と「それ以外(絵や音楽、音声)」なども、それと同じ様な関係にあるのではないでしょうか。
例えば、【コンビニのお弁当の棚がスカスカの絵】があるとしましょう。その絵が示す意味は、「バカ売れした」「(弁当の)配送が来なかった」「強盗か何かに棚を荒らされた」と、幾つにも視えます。しかしそこに何かの一文、例えば『新商品発売!』という文章が打ってあれば、「これはバカ売れした絵か」と思えますし、『交通渋滞』という文章が打ってあれば、「配送の車が来てないんだなぁ」という意味に捉えることができます。
つまり、絵の意味をテキストが制御する。これは勿論エロゲにもありますね。言うまでもないくらいに。


ただ、その逆もあります。絵が、テキストの意味を制御する。
そもそもテキストの意味とは、細かぁく分けていくと一文字一文字……はいきすぎですが、一単語一単語がそれぞれの意味を持ち、それがそれぞれの単語に作用し、それが一センテンスの文章を作り上げ、それがまた別のセンテンスの文章の意味に影響を与え、その集合が場面となって、その場面もまた他の場面の意味を規律させて、そして全体となる(もちろん別階層のものが別階層の意味を規律させることもあります)……と、細かい単位から大きな単位まで、全てが意味を持ち、そして全てが「別の意味に対し」何らかの作用をしています。(超ウルトラ大雑把に言うと、その集合体(つうか、パッケージの中にある全てのものの集合体)が物語となる)


その、テキストにみられる構造と同じ様な機能は、絵とか音楽とテキストとの間にも見られます。
例えば絵なら、どういう姿格好をしているか・どういう表情(心理)か、どういう配置か(特にイベントCGなど)などなどが、テキストの意味に対し、ある機能を発揮しているでしょう。
それは、テキストを補強するようなもの(例えばFateの戦闘時の絵とか)だったり、テキストの意味を規律させるようなもの(「あんたの為じゃない」みたいなテキストだけだと、ぶっきらぼうというか嫌ってるかのように思えるけど、頬を染めているキャラ絵と一緒なら、本心は(テキストの意味は)そうではないんだと思える)だったり。


また逆に、かえって多義性が強くなることもあります。



http://d.hatena.ne.jp/Nota/20080613/1213371005
↑は一月くらい前に書いた記事ですが、例えばこの場面、絵がなかったら、このテキストをどういう意味で視るでしょうか? 絵がなかったら、字面通りの冗談と受け取るかもしれません。でも、こういった絵が表示されたことで、より、そのテキストの意味の多義性(冗談じゃないかも)が強まってしまいます。



絵だけではなく音楽の効果なども計り知れるでしょう。例えば、「緊迫(戦闘など)シーンによくなる音楽」とか、「悲しいシーンによくなる音楽」などを用意しているゲームは多いですが、ひるがえると、その音楽がなることで、そのシーン(場面)が「緊迫している・悲しい」シーン・場面であるという意味が、必然的に(程度差はありますが)生じてしまいます。
他にも発声次第で意味を変えられるヴォイスや、あるいは「システム」自体にまで――つまるところ存在する全てに、大なり小なり「物語」を構成する「意味」が存在しているでしょう。