Oxonian’s

韓国の大学で働いてます。EBSラジオ『たのしい日本語』も担当中です。

フィールド調査:地元の言葉

一昨日と昨日、故郷の言葉 (いわゆる「方言」) に関する調査を行った。
今回は初回の調査なので、自己紹介とご挨拶を中心にさせていただいた。
詳細は書きませんが、僕の地元は、茨城県の南西の方です。

一昨日は、市役所で話者の方を二人ご紹介いただいた。
僕の友人が市役所で働いているのだけれど、
その友人や別の職員の方に尽力していただいたのです。

昨日は、その話者の方が近所の方を呼んで茶話会を開いてくださり、
それに参加させてもらい、お話を伺ってきた。

今回、初めて、故郷の言葉について調査をしたわけだが、
言語学的調査はあまり進んでないものの、とても有意義な時間だった。
何よりも、僕が知らない地元の歴史や文化についての貴重なお話を聞けた。
話者の方は70代や80代なのだが、
若い頃にどのような仕事をされたのか、
食事に関してはどうだったのか、、、等々
様々なお話を伺った。

また、話者の方の気配りもとても有難かった。
僕のために時間を割いてくださったり、
話者をご紹介してくださったり。

方言調査は別の地域で行ったことがあるが、
フィールドワーカーのエキスパートといつも一緒だった。
ということで、今回は、そのようなエキスパートなしでの調査。
貴重なお話を伺えたことは本当にありがたかったが、
今後、言語学的調査をどのように進めていくかに関しては、
手探りの状態だ。腰を据えて取り組む必要があると感じた。

ところで、上では「方言」という用語を使ってきたが、
この用語には否定的なイメージがある場合もあるので、
「故郷の言葉」という用語も使った。
でも、その一方で、「方言」という用語を使う研究者は多いし、
話者の方たちも「方言」という用語を使っているので、
今回はこの用語を使ってブログ記事を書いた次第です。

また、「調査」という用語もよくないと感じられる。
フィールドメソッドでも言われていることかとは思うが、
僕は、調査させてもらっているというよりも、
その土地の言語や文化や歴史について教わる立場なのだ。

言語に関する素朴な疑問として、
「世界にはいくつの言語があるのか」という問いがある。
この問いに対するよくある答えは、次のようなものではないだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
言語をどのように定義するかで、その数が異なる。
言語的特徴 (音声、語彙、文法など) に加えて、
政治・歴史・地理・文化などの要因が関わると、
ある人や団体にとっては「言語」と考えられるものが、
別の人や団体にとっては「方言」と考えられる場合もある。
そもそも、言語や方言とさえ認定されない場合もある。

だから、世界にいくつの言語があるかは、簡単には答えられない。
例えば、ある捉えかたによれば、4,000~6,000くらいとなるし、
別の捉えかたによれば、5,000~8,000くらいとなるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕の地元のことばは、方言としてこのブログ記事を書いたが、
捉えかたによっては、一つの言語として扱うことも可能だと思う。

実際、僕の地域の方言は (日本各地の方言と同じように)、
音声・語彙・文法などの面で、共通語/標準語と違いがあり、
多くの点において共通語/標準語よりも複雑な体系をなしている。
また、その土地の言葉は、その土地の文化や歴史と結びついている。

こう考えると、地域の言葉を話せるというのは、
すごいことだし、尊いことなんだなあと思う。
英語について勉強したければ、教材や練習の機会は豊富にあるが、
地域の言葉を勉強しようと思っても、
教材や練習の機会は揃っていないことのほうが多い。

実際、今回、僕がインタビューさせていただいた話者の方々は、
70代以上の方々だ。60代では、話せない人が多いと思う。
僕は30代半ばだが、聞いてなんとなく分かる気がするのだが、
話すことはできないし、文法性判断もできない。

現在では言語継承はできておらず、このままでは、
この方言/言語は失われてしまうのではないか。
そんな危機感もあり、昨日は、なんともいえない気分だった。
僕ができることは微力に過ぎないかもしれないが、
できることはしたいと思う。

最後に、ご協力くださった話者のみなさま、市役所の方々に、
心よりお礼を申し上げたいです。