画面の向こうに対して働かすべき想像力

ずいぶん昔の話になるが、ある障害者団体と付き合いがあった頃のこと。
戦時下に生れて、当時すでに40歳を過ぎていた人だったが、少年時代から過ごしてきたあちこちの施設での体験を話してくれたことがあった。
淡々とした口調ではあったが、若い頃にもっとも悩んだのが、異性に対する抑えきれない欲望だったそうで、その頃は悶々とした苦しい日々をずっと送っていたというような話だった。
今は、当時に比べれば「バリアフリー」だとかで、障害を持った人たちも少しは自由に外へ出たりすることもできるようにはなったようだ。障害者どうしや、障害者と健常者の夫婦で、子供を産み育てている人らもいる。
しかし、それでも今なお、多くのそういう人たちは、異性(同性でもむろんいいけど)と付き合う機会などほとんどなく、たとえ好きな人ができたとしても、自分にはその資格がない、ましてや結婚などできるはずがないと最初から諦めてしまい、自分の胸の中にだけひっそりと納めている。そういう現実は、昔と比べて、そんなに変っているわけではない。

ところであなた、彼女できても続かないでしょ。ヘタで。あなたのお喋りの姿勢見てたらよくわかる。

http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-946.html


ある人に対して、コメント欄でこういう言葉を吐いた人は、文字だけでやり取りしているなんの変哲もない画面の向こうに、たとえば事故で下半身不随になり車椅子に座っている人、自由の利きにくい指でゆっくりゆっくりキーボードを打っている人、手のかわりに足で、あるいは口にくわえたスティックだとかでパソコンを操作している人、そういう人がひょっとするといるかもしれないといったことを、日頃から少しでも想像したことはないのだろうか。
あなたは知らないかもしれないが、私はそういう人が現にいるということを、抽象的ではない具体的な事実として知っている。ネットで互いに匿名のままで付き合うときに必要な想像力というものは、そういうもののはずだ。


追記: 2008/7/7
「差別」とは、ある特定の属性を持つ人らが、そのことのゆえに社会においてなんらかの不利益を被っているという具体的な事実のことなのであり、単なる言葉の問題でもなければ、そこに、主観的な「差別意識」があるとかないとかいった問題でもない。
大事なのは、そのような「差別」が、社会においてどのように存在し、どのような形で発現しているのかを具体的に考えることだ。口先だけの「差別は良くない」とか「差別はやめましょう」といった言葉など、誰にでも言えるただのお題目にすぎない。


追記の追記:2008/7/11
その他参考コメント欄:
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200802230000
http://sivaprod.exblog.jp/8649367/
http://blogblues.exblog.jp/7200751/
「監視所」などと妄想じみたことを言う人にいつまでも付き合うほど、こちらは暇ではない。


http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090811/1249954088

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080602
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080603
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080613
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080615
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080705