ようするに

まあ、なんだかよく分からないけど、自分にとって不気味な動きがあると感じたときは、「悪意」とか邪悪な意思を持った特定の集団がその背後にいると想定するのが、いちばん楽なわけですよ。
誰かから批判されたときも、そうすれば、その言葉に耳を貸す必要も、うんうん頭をひねって理解に努める必要もないわけだし。
なので、たいていの場合、「陰謀論」に引っかかりやすい人というのは、心のどこかでおのれの弱さを意識している人なのですね。それだけのことです。
陰謀論」にはまった人がそれによって得る優越感というのも、よくよく見れば、そのようなおのれの弱さという意識に対して、無意識に過剰な補償を求めた結果としか思えない場合が多いですね。

ああ、これは別に非難ではないですよ。
誰でも覚えがあるでしょうけど、精神的に落ち込んでいたり、心が弱っていたりすると、人はだれしも他人のちょっとしたなにげない動作などにも、ついつい隠れた「悪意」を想定しがちなものです。
リアルな付き合いのある関係だとかであれば、たいていの場合は、あとで誤解が解けて、なーんだ、そうだったのか、あははは、というような話になるのですけどね。
ただ、そういう心の状態が恒常的になると、「陰謀論」的発想に首までどっぷりつかってしまって、あれも陰謀、これも陰謀というふうに、世の中のすべてが陰謀に見えてくるというわけですね。