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伊藤計劃:第弐位相

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12-14, 2008 表紙

退院しました 退院しましたを含むブックマーク

とはいえ、またすぐ入院するのだけれど。なんだかガンマ線ナイフというのを患部に当てるらしく、意味もなくわくわくしている自分がいる。CT、MRI、PET、骨シンチ、とありとあらゆる医療機器に放り込まれてきた自分ではあるが、今回は名前に興奮する。ガンマ線ナイフ。響きが大変素晴らしい。ガンマ線ナイフ。なんだかプログレッシヴナイフのような響きを感じる。他には重粒子線というさらにSFっぽい抗がんデバイスがあるのだけれど(千葉にあるらしいのいだが、保険がきかず、一カ所300万円近くするらしい)、わたしの症状はそちらの適応には向かないらしい。

退院している一週間の間にどれだけの映画が観られるのか。外に出る体力がメチャクチャ落ちているのでそうたくさんは観られないだろう。「エグザイル/絆」「WALL.E」「トロピックサンダー」「地球が静止する日」「K-20」「ワールド・オブ・ライズ」あたりは行っておきたいところ。ただ、こうやって雨に降られると出られない。ベッド周辺1メートルで生活し続けているとこうなるのだ(実際には抗癌剤による貧血のせいが大きい。とにかく身体を動かすのが億劫になるのだ)。

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18日配本予定。本屋さんではこの表紙を目印にお求めください。

テーマは百合です。女版タイラー・ダーデンといちゃいちゃする主人公が見物です。

リアル漫画映画としての「ダークナイトリアル漫画映画としての「ダークナイト」を含むブックマーク

ダークナイト」がリアルであればあるほど、バットマン金持ちっぷりや秘密兵器やジョーカー手際の良すぎさに違和感を感じる、という人がいる。ぼくはその意見にもっともだ、と受け入れつつも、なぜ自分はそのような違和感を感じなかったのかをひたすら考えていたのだった。で、いま唐突に気がついたのだけれども、

ダークナイト」はつまり、ぼくにとっての「平成ガメラ」だったのだ。

オタクなら誰でも夢見ているのではないだろうか。大金を掛けて、自衛隊などのリアルな軍隊が出てくる怪獣映画や、現実に仮面ライダーが存在したら、とかそういう「リアルさを持った漫画映像」を。それらは実際にはちっともリアルではない、というか怪獣とかその能力とか(オタク文化に対して愛のない「空想科学読本」によればそもそも怪獣やウルトラマンは立っていられない)、多分にフィクショナルな部分は保留しつつ、その外堀はガンガン現実の事物で埋めていく。それはオタクだったら多くの人が理解してくれると思う「願望」だ。そして平成ガメラに対する評価とはまさにそれであった。「防衛軍」でなく、モノホン自衛隊が短SAMや90式やペイトリオットで対応する。「もし本当に怪獣がいたら」という妄想の許に渋谷を火の海にしたとき、ヒーローであるガメラに「被災」してしまった少女というキャラクターが出てきたとき、全国のオタクは驚喜したはずだ(違う?俺はそうなんだけど)。

つまり、ぼくが「ダークナイト」をすんなり自然に受け入れるどころか驚喜したのは、そういう「オタクの願望」の傾向を体現した作品だったからなのね。「もし本当にバットマンというヒーローがいたら?」というテーマがあること。「バットマンジョーカーの非現実感が際だってしまう」という批判はそもそもそうした作品の作り手が設定したテーマそのものの否定な訳ね。つまり「リアルなアレが観たい」という願望の否定な訳だ。それはあるリアルな世界に非現実的なものを放り込むオタク特有の願望を持ち合わせていない、極めて常識的な意見でもあるわけだ。

こう思ったのは監督のノーランが「バットマンと他のヒーローの競演はあり得ない」と語っていたことだ。すでに「ヒーローという概念」があったのなら、金持ちであるブルース・ウェインは他の方法をとっていただろう。ヒーローが存在しない世界だからこそ、ブルースはシンボルとしてのコウモリを思いつき、ヒーローという概念を自力で開発したのだと。これは「もしリアルな世界に○○がいたら?」という上の話を実証する話だ。ノーランは「ヒーローが本当にいるリアルな世界」を創造することに心血を注いだわけだ。繰り返しになるけれど、これは極めてオタクの願望的な方向性なわけで、「違和感」を感じた人間はこの映画の根本な所から受け入れられていないわけだ(繰り返すけれど、これはオタク的ではない、極めて常識的な意見でもある)。

ハルク」や「アイアンマン」は単に漫画が実写になっただけだ。「実写になる」だけでもオタクはうれしがるけれど、それがさらに「リアルな世界で展開される」とまた別の快楽をオタクは覚える。前作の「ビギンズ」やこの「ダークナイト」は日本で言うと「平成ガメラ」に当る快楽を持ち合わせているわけだ。

ではなぜ ではなぜを含むブックマーク

ガメラそれ自体のフィクショナルな存在にツッコむ人がおらず、ダークナイトバットマンに違和感を覚える人がいるのかというと、実は単に慣れの問題である、となってしまう。日本には「怪獣文化」があり、アメリカには「ヒーロー文化」がある。実は単にそれだけのことなのだろう。