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Quartodecimanium Memo

2017-11-14

厳格化されたシャバット

01:48


ラキシュ攻略がセンナケリブ碑文では「ina7su」とあり、安息日であった可能性もある

前597のエルサレム攻略もアダルの2日とあり安息日に当たる。<D.wiseman"chronicles of chardean kings">

前587のエルサレム攻囲の開始された日(2king25:1-12)も、陥落日も安息日であった。<Jer52:5-8>

ほかに

プトレマイオス祇いエルサレム攻略<Apion1:208-211/古代史12:4>

マカベア期のセレウコス軍の攻撃<1mac2:29-38/2Mac5:25・8:26-・15:1/古代史13:337>

前63のポンペイウスの攻略<古代史1:63/カッシウスのローマ史37:15.2-4/ストラボン地理16:2・40>

ガリラヤ防衛戦<戦記2:632->

ティトスのエルサレム攻略<カッシウス;ローマ史66:7.2/プルタルコス;モラリア2「迷信」8/戦記2:456>

しかし、後期にはユダヤ人も応戦することが正当化され、ゼーロータイは安息日にはっきりと戦っている。

シャンマイ派は三日前から継続している戦闘についての応戦を許可している。<トフセタ:エルヴィーン3:5>

フィロンヨベル書は、寓意的ではなく文字通りの遵守を主張し、死海写本でも、安息日新月に勝って重視され、重要な儀礼的機会とされていたことが窺える。

シュナゴーグでのトーラの学習により<ヒュポテティカ7:9-13>、会堂そのものも「サバティオン」と呼ばれるに至っている。<古代史16:164/アピオン1:109>

初期ユダヤ教時代に安息日の厳格化に向かった痕跡は以下の資料にある

ヨベル書1:14・2.6.50章

・クムランスクールのダマスコ文書10-12章

共同体の規則 11-12

取分けヨベル書戒律は厳正を極め、イスラエルのみの特権であるとして異邦人を締め出し、<2:13>物品の持ち出し、水汲み、前日に調理されていなかった飲食物の摂取、動物への騎乗、性行為、仕事の話題、船旅、断食闘争を挙げている。

クムラン教団の「隠された事柄」にもその発展形がみられる。

教団は安息日に歩行可能な距離を1000キュビトとしているが、これは後にミシュナーに於いて2000に拡張された。<ロシュ・ハシャナ:エルヴィーン4:3>成人男性の歩幅は聖なるキュビトとほぼ同じでは?

(約880m)神殿域からベタニヤまで15スタディオン(2700m)Jh11:18 al-Eizariyaであれば3.2kmという

ダマスコ文書11:13-では、穴や溝に落ち込んだ家畜の救助も禁止するに至る。これはフィロンによっても維持されている。

これについてヨセフスは、異邦人からも称賛を受けたとしているのだが、早くも前2世紀に、アガタルキデスによってプトレマイオス気料阿棒鐺を放棄した件が嘲笑されている。<アピオン1:208->

アポロニウス・モロン、セネカタキトゥスなども極端な規則を蔑視

ユダヤ人安息日に火を使えず、食物を保温するために藁の詰まった籠を用いていることが記される。<ユウェナシス風刺詩6:542->

ヘレニズム王国や、ローマ当局はユダヤ人安息日を許可し、金曜の午後から日曜の夜までの出廷や軍務を免除していたが、これは非ユダヤ人の不満を買う原因ともなっていた。<古代史14:241->



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所見:

詰まるところ、ユダヤ教とは自己義認に深い関心はあっても、神の意志を探ることには無頓着であったように見える。「安息日のために人が在る」この茶番に気付けないのが宗教の恐ろしさなのであろうと思う。

キリストが現れ、「その実によって」偽預言者を見分けるように言ったのは、こうしたことではなかったか?

同様のことがキリスト教界で繰り返されるのを見るのは更に虚しい。

やはり、普遍的に人は自分を愛し、神は二の次にする。その利己心こそが、人に宗教を必要とさせたにも関わらず。

自分が善い行いをして酬いに与ろうという、その発想そのものが神と人を隔てたのであれば、大半の宗教には、その宗教本来の目的にはいつまでも到達しないことになる。根本問題は愛の欠如である。

ダマスコ文書はルカ福音書の後の成立では?キリスト教徒からの反論への対抗措置では?或いはキリスト語録*のようなものが既に流布していたのかも知れない。*(断片の集成であるトマス福音書の類似点)

ミシュナーの完成がハナシーであるから、キリストより世代が遅いうえに、当時にはクリスティアノイが無視できない勢力に育ちつつある過程にあったのであれば、それも手伝ってパリサイ派も強硬になっていったに違いなく、神殿破壊が近付く程に、愛国主義イエス派を排除する要因になっていたというのであるから。

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ヘレニズム期の間に、トーラーは実生活に適合し辛くなっており、そこで新たな生活様式と整合させる必要が生じていたが、ソフェリームにはその任を果たす力量が不足しており、解釈者が求められた。

その任に当たったのが、タナイームであり、前4世紀頃から現れ、聖書解釈の権威を持って教学院を設立し始める。

これはトーラー自身が求めていることではなく、その権威もいつか試されることになることは不可避であったことは意識されていたのであろう。そこで彼らがマラキの「メシアによる害」を被ることを内心恐れていたことは、アモライームの著作にも表れている。

ソフェリームでさえ後付けの権威であったが、エズラによって存在意義はタナハに固定されていた。だが、タナイームからは根拠なく、しかも書いている内容からして逸脱があちこちに見える。それは価値観の堕落。トーラに近付き過ぎて、それが見えなくなっている。今日の聖書固執するキリスト教界のようである。






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