"市街地での対戦車伏撃戦術(チェチェン軍対戦車歩兵戦闘群)"

http://web.archive.org/web/20070921181926/http://angrif.hp.infoseek.co.jp/atc.htm
いつもの場所が消えていたので、要点を転載。

背景

1995年2月、ロシア軍はチェチェン共和国首都グロズヌイを陥落することに成功した。

ロシア軍は介入当初(1994年12月)グロズヌイを占領するのには包囲によるのではなく、行軍により可能であるとしていたが、これは失敗し以後ロシア軍は建物一軒一軒を慎重に確保することで2ヶ月後に首都陥落に成功したである。(1) しかし、最初の一ヶ月でロシア軍は225両の装甲車両を完全に喪失してしまう。これは作戦に投入された装甲車両の10.23%に匹敵する量である。

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1995年2月20日、装甲軍司令官(the head of the Armor Directorate)A.ガルキン中将は結果を発表した。破壊された装甲車両は平均して3−6発の致命的打撃をうけており、.(2)その大半が肩持ち式の対戦車ミサイルで破壊されていた。ここにはチェチェンの対戦車戦術と都市戦闘でのロシア装甲車両の弱点が示されていた。

ロシア軍の敗因

初期のロシア軍の車両損失の原因は、その不適切な戦術、敵に対する認識不足・戦闘準備の欠如である。戦術的には、ロシアはグロズヌイを包囲して敵の増援をたつことをせず、(これは兵力の不足によるものだが)行軍戦術で首都を陥落させようとしたため、警戒を怠ったのである。結果、ロシア軍の装甲車の隊列は行軍隊形のまま、歩兵を展開させることもなく、こうした待ち伏せをうけることとなった。

また、ロシア軍戦車の主砲は地下にいるチェチェン軍対戦車班に対して無力であり、車載対空機銃も2−3階にいる対戦車戦闘班の同時攻撃に対抗し得なかった。

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ロシア軍の対抗戦術

そこで、ロシア軍は、

?行列にZSU23−4と2S6という装軌対空車両を配備した。(9)

?歩兵を下車随行させ、装甲車両の前方に展開させ、装甲車両を歩兵の戦闘予備・戦闘援護にあてた。

?その上で、一軒一軒、一ブロック一ブロック調整された前進を都市で行った。

?ロシアの車両のいくつかには、成形炸薬弾の防御・モロトフカクテル・爆発物を収束したものに対抗すべく、車体から25−30cm離れたところにワイヤーメッシュ上の固まりを装着した。

結果、装甲車両の損失により非常に低下した。

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包囲せん滅、でなく、部隊を政治拠点に行軍することで、敵の戦意を絶ち、降服させる、という考えで、この後、2003年3月19日に開始されるイラク戦争ではストライカー旅団の威力が如何なく発揮され、その結果がご覧の有様だった。で、戦車や、重装甲の装甲車をIED対策に投入することに。

あと、こういうのを見て、「戦車弱いじゃん」という意見が出されるかもしれないけど、戦車がなければ、歩兵が自動小銃の弾丸を受けることになるという。


イラクでの対ゲリラ戦術は探索中。
http://7c7c.seesaa.net/article/1146854.html