科学と因果関係
http://d.hatena.ne.jp/REV/20080209/p4の『「科学をそこまで信じても良いのか?」 - REVの日記 @はてな』と、とりあげられていたhttp://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/02/post_1677.phpの「MORI LOG ACADEMY 信じるか信じないか」に関して。
科学というのは、現象を説明する仮説である。その仮説に例外が発見されるまでは、それが法則となり、つまり真実として扱われる。これは、信じるとか信じないの問題ではなく、そういった予測方法なのだ。少なくとも、これよりも合理的なものがない。だから、それを「採用」しているのである。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/02/post_1677.php
「1+1が2だということを、あなたは信じますか?」と問われても、べつに信じているわけではなく、それは揺るぎない予測なのではないか。あるいは、そういう定義なのではないか。
科学が現象を説明する仮説だとして、そういった仮説によって現象を説明するという方法を信じるかどうかというのはあるのかなと思いました。つまり「現象を仮説によって説明することができる」というのもまた仮説のひとつだと考えられるからです。
以前にも書いた気もしますが、少なくとも原因と結果の因果関係というのを信じないと科学の考え方が成り立ちません。現象の説明としての仮説としての科学は、ある結果とその原因と言い換えることが出来るからです。
この原因と結果という考え方は、必ずしも間違いではないというかほとんどの場合で合理的で正しいのですが、弊害もありそうに思います。何にでも原因があるというのが仮に確かだとしても、その原因がいつも明らかになるとは限らないからです。http://d.hatena.ne.jp/REV/20080208/p7の「嘘をつく子ども - REVの日記 @はてな」で紹介されているようなことも因果関係に対する信仰の弊害ではないでしょうか。
それでも因果関係というのは、科学というか人間の考え方から切り離すことは出来ないようにも思います。科学に関する言葉では、最近読んだ「物理学はいかに創られたか」という本に書かれていたものが印象に残っているので以下に引用します。
科学はまさに法則の集積でもなければ、まとまりのない事実のカタログでもありません。それは人間精神の一つの創造物であって、それが自由に発明した思想や観念を含んでいます。物理学の理論は実在の一つの形像を形づくって、それと感覚的印象の広い世界との連関を確立しようとします。ですから私たちの心象構造が正しいかどうかは、理論が果して、またどのようあにしてかような連鎖をつくるかどうかということに帰着するのです。
(物理学はいかに創られたか(下巻)189ページより引用)
以前に書いたこと
困った時のイワシの頭
高度に発達したニセ科学は科学と区別がつかない?
科学
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迷える子羊のために
http://anond.hatelabo.jp/20080209170247の「迷える電気羊のために」は、題名からすればP・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」なのだろうけど内容から連想したのはレスター・デル・レイ*1の「愛しのヘレン」です。有名な話なのだけど、読んだのはつい最近。だから余計に印象に残っていたのかも。
あと、ブックマークコメントに関して。
[robot]そのうち書くと思うけどアンドロイドに人格を入れる事は無いと思う。少なくともレンタル用の筐体には。人格というのは厄介なモノだから/スタンドアロンで判断し行動出来るだけの何かが有れば良い
http://b.hatena.ne.jp/ululun/20080209#bookmark-7426218
“スタンドアロンで判断して行動出来るだけの何か”と言うことが出来る何かは、「人格」と呼ぶことも出来るかもと思いました。少なくともそこに人格を感じてしまう人はかなりの数いそうです。そんなところから連想したのはアシモフの「お気に召すことうけあい」という話。話の構成としては「愛しのヘレン」と似ていますが、現象に対する解釈は全く違います。
(追記)
http://anond.hatelabo.jp/20080209232911の「迷える電気羊のために 補足」によれば、もとネタがあったようです。もとになったマンガの題名も「迷える電気羊のために」というようです。
*1:下の「フランケンシュタインの子供」ではレイでなくリーと表記