解説

岩崎夏海氏はぼくに感謝するとともに、とらやの羊羹を差し出すべきである - ヘビ1級タイトルマッチについて、もちろん、これだけでは自分だってちっとも意味が分からないので、以下に背景を書いておく。

1 お付き合いのある会社から、その会社の所属する団体で「岩崎夏海セミナー」を開くとの案内を受け、ぼくが参加希望を出す
2 ところがその後、セミナーの日に、どうしても動かせない仕事が入り、代わりに、その団体と関係の深い、同僚が行くことになる
3 同僚、岩崎夏海セミナーに参加する
4 翌朝、「セミナーがひどすぎる、岩崎夏海がひどすぎる」と同僚激怒。罵倒の嵐。ぼく、ああやっぱり…と納得する。(これ
5 ぼく、ついでなのでハックルさんのブログを紹介する。
6 同僚、ブログを読んでますます激怒。たぶん「上村愛子は〜」あたりのエントリが逆鱗に触れたんじゃないかな。
7 同僚、主催した団体に、「もう金輪際、岩崎夏海を使うな」と抗議したいと言いだす。同僚は、どういうわけかその団体に対して強い影響力を持っていて(会長だかなんだかに気に入られてるようだ)、強く抗議すれば、そうなるかもしれない。
8 ぼく、「気持ちは分かるがやめておけ。上から目線で抗議するなんて、君が激怒した、クズの岩崎夏海氏と同じじゃないか。君が抗議しようがしまいが、主催者たちが『岩崎夏海氏は今後一緒に仕事するに値しない人間だ』と判断していれば、今回で打ち切られるだろう。逆に感銘を受けていたならば、確かに抗議は役立つかもしれないが、結果として君はそこに水を差したことになる。たかだか岩崎夏海氏ごときのために、後々のしこりをつくる必要はないじゃないか」などと諭す。
9 同僚、納得する。
10 ということで、岩崎夏海氏が今でも主催団体の周辺で仕事ができているならば、それはぼくが同僚を諭したからであり、同僚が自重したからである…ともいえる。
11 だから岩崎夏海氏は、ぼくと同僚に、感謝の意を表してとらやの羊羹を持ってくるべきだ。



まあ、10以降は上記エントリを書きたいがためのジョークだけどね。
とまれ、「さんざん悪口を並べておきながら、感謝ととらやの羊羹を要求する」という、その理不尽さには当然、何かしらの背景があるわけで。このあたり、決して書かれなくとも、何か理由があるのだろう…と書き手を信頼し、想像を働かすコツを覚えてほしい*1

それにしても、ハックルさんのことを知っている僕と違って、何の予備知識も持たない、初見の同僚を、あれだけ激怒させる岩崎夏海氏のセミナーって一体どんなものなんだろう?ぼくも見てみたかった。本当に残念だ。←これが本題

*1:この言い回しも、もちろんジョークの一環である

岩崎夏海氏はぼくに感謝するとともに、とらやの羊羹を差し出すべきである

ある日の同僚との会話。

同僚「岩崎夏海ってのは一体何なんですかッ!?あれほど不愉快になったことは、ここ最近ありせんでしたッ!」
ぼく「(やっぱり…。)まあ、確かにね。そう思うんじゃないかな、怒るんじゃないかな、とは思っていたよ」
同僚「ちょっと本が売れたからって調子に乗りすぎじゃないですかッ!。上から目線で説教されて、不愉快でしたッ!」
ぼく「ああ、それは本が売れる前からだね。なぜか上から目線で偉そうなんだよ。ホント昔っから。人を不愉快にする達人というか」
同僚「しかも、その説教も的はずれで…何も分かってないくせに、自分の言ってることの正しさはこれっぽっちも疑わない感じがありありと伝わってきて…最悪ですッ!本当に最悪ですッ!あんなのと同じ空気を吸っていたことが最悪ですッ!!」
ぼく「ご愁傷様」


以上のことから明白な通り、岩崎夏海氏はぼくと同僚に感謝するとともに、その感謝の意志を形として表すため、とらやの羊羹を差し出すべきである。

上記エントリに寄せて

 例えば、ぼくと同僚が、岩崎夏海氏をさんざん罵倒しながら感謝と「とらやの羊羹」を要求する、このエントリにおいては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、そこで両者をつなげる(岩崎夏海氏に羊羹を要求する)意味について、ぼくはその同僚の人物から背景、怒りつつ感謝と羊羹を要求する理由までこと細かに把握していたにもかかわらず、エントリの中では一切描かず、単にその事実のみを記すにとどめた。それは、もちろんデータ容量の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方がエントリとして面白くなるということが分かっていたからなのである。

 その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、そのエントリを象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、ところがエントリの発表後、そこで予想外のことが起こった。なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解できない人が、少数ではあるが現れたのである。そのシーンを、何度読んでも「ぼくらがなぜとらやの羊羹を要求したのか」を想像できない人が、少なくはあるが一定数いるという事実が、読者からの反響を得る中で判明したのだ。

 これに、ぼくは驚かされた。彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らのブログの読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、僕は初めて知ったのである。

 そうしてぼくは、これを由々しき問題であると受け取った。ブログを読むのが下手というのは、何よりその人たちにとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かすコツを覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに、それができないというのは、端的にいって可哀想である。

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本日のエントリは、2011-08-08から着想を得たものです。ありがとうございます。なお、同僚との会話は、言葉尻などに違いはありますが、実際に話した内容を元に構成しています。

(2011.8.13追記)http://d.hatena.ne.jp/Ri-fie/20110808/1312843982へ続いておりまする。