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探すのにちょっと手間取ってしまったので覚書。
酪酸は無害なのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100531-00000562-san-soci
弁護人「なぜSSは、酪酸という物質を選んだのですか」
被告「非常にくさいにおいを持っているので、まかれると作業が継続できなくなるからです。ただ、無害なので、体に入っても、オーガニックな成分なので、一切害はないと」
弁護人「人間への危険性は?」
被告「SS側の見解では、酪酸は人体に安全と考えています」
弁護人「そういう理由で酪酸を選んだと聞いていると?」
被告「そうです」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%AA%E9%85%B8
皮膚や粘膜に対する腐食性があり、水生生物に有害。シー・シェパードが兵器として用いていることで知られる。
ICSCでは「漏洩物処理」項目で、環境中への放出を禁じている。
だめじゃんw 水生生物に有害だぞww あー、でもまあwikipediaが故意に編集された可能性は否定できんな。
ふむ、2008年3月までさかのぼっても水生生物のくだりは生きているようだ。シーシェパード云々は後から追加か。
2010年06月11日のツイート
戦争について
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1351.html
とても重い話。人間はほとんどの時代を通じて殺し合いをしてきた。今も殺し合いをあちこちでやっている。そしてその辛さを知ってきた。もう自分が死ぬしかないと絶望してしまうまで。
それを乗り越えるために神様に赦してもらう仕組みを作った。これを赦せるのは同じ人間ではありえない。人間を超越した何か尊いモノに赦してもらえば、自分はまだ生きていていいのかもしれない。信仰の根っこというのはそんなところにきっとある。罪の深さを認めた上で、赦しを求め、与える。ああ、なんかきっと、そーゆー事なんだ。
ちょっと追記。赦しが与えられるのが神様しかいないなら、赦されることが出来るのは、赦されるべき罪を背負った人なのかもな。
またちょっと追記。信仰というものについて、何か考えるなら、それが人の心を救済できるか?という観点の議論なら、意味があると思う。でも、一方で創造論で戦う人たちなんてのもいる。なんというか創造論ががんばっていろいろやってるアメリカって国は、やっぱ平和なんだなと思ってしまった。人の生き死にの問題に比べたら、なんと薄っぺらい議論だろうか。