特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

ジブリ映画2題:『夢と狂気の王国』と『かぐや姫の物語』

いやあ、国会前へ行ったら、石破にテロリスト扱いされてしまった(笑)。秘密保護法にしろ原発にしろ、国民の反対する声に耳を傾けない政治家がいるから、ああいうことをしなければならないわけで、実際 当日もそういうスピーチをしている人が居た。国民の声を聴かない張本人からそんなことを言われるなんて、盗人猛々しいとはまさにこのことだ。近年 政治家の劣化が言われているが、あそこまでのアホが居たとは。ホント、びっくりしたよ。

             
ついでに『TPPでは1センチもアメリカに譲らない』と言っていた担当大臣の甘利だがhttp://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/131201/ecn13120122410009-n1.html、大見えを切った翌日の今日、いきなり検査入院だって(笑)。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131202-00000028-jij-pol

『1センチも譲らない』なんて言っちゃって、あとでどうやって言い訳するのだろうと思っていたんだけど、トンズラするにしても、もう少しうまい言い訳を思いつかないものか(笑)。『命を賭ける』と言ってた第一次内閣での安倍晋三しかり、尖閣での前原や石原しかり、それに石破もいざと云うときはそうだろうが、『勇ましいことを言っているやつは必ず逃げる』は歴史の真理だろう。次は猪瀬も入院か?(笑)。

                                                                                                                                                                                                                                       
                                       

さてボクは『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』は大好きだけれど、スタジオ・ジブリ関連の近作には殆ど興味がなかった。最近は作品の質の面でもかってのものに及ばない気がしたし、何よりTV局とタイアップした宣伝が実にうざかったからだ。
そのスタジオ・ジブリを描いたドキュメンタリー『夢と狂気の王国


不治の病を宣告された自分の父親の最後の日々を描いたドキュメンタリー『エンディング・ノート』で高い評価を得た砂田麻美監督の新作ということで見に行った。砂田監督は2012年から1年、毎日ジブリに通い続けて作品を撮ったという。だから正確にはジブリ映画じゃない。同社の良いことも悪いところも描かれている。

映画はジブリ代表取締役鈴木敏夫が、当初予定していた2013年夏の宮崎駿の『風立ちぬ』と高畑勲の『かぐや姫の物語』の同時公開が難しくなった、という記者発表をするところから始まる。後に関係者一同がスケジュールや予算を守らない高畑に対して完全に頭を抱える場面が出てくるが、このシーンはジブリの抱える狂気をある意味 象徴している。

この映画で特に印象に残った点が3つあった。

1.風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』は明確に時代に対するアンチテーゼという意図を持って造られていること。もちろん『風立ちぬ』を見れば、まともな人なら誰でも『右傾化への恐れ』や『戦争が近づいてくる気配』を感じると思うけれど、宮崎を始めジブリ側があれだけはっきりした意図を持って造っているとは思わなかった。この映画の中で鈴木敏夫は宮崎のストーリーを最初に読んだ際『こんなに反戦色が強いと思わなかった』と思わず漏らす。かといって、それを止めようとか変えようとすることもない。鈴木が宮崎に『今はNHKも民放も自主規制が酷くて、触れてはいけない部分だらけなんですよ。自由に物事を言えるのは宮崎さんや高畑さんでおしまい。』と発言する印象的なシーンがあったが、それでもやる、ということなんだろう。ジブリの社内各所に『原発要らない』のスローガンがしっかり貼ってあるのも面白かった。

2.『風立ちぬ』は宮崎が脚本を完成させる前から、アニメーター100人が2年間以上、絵を描き続けたという。広報や営業なども加えたら関わる人間の数は大変なものになるだろう。宮崎のマイペースで(笑)作品を作りながら、大組織で動いていくのは並大抵のことではない。
夢や自由を描く宮崎は制作現場では一人の気まぐれな独裁者でもある。もちろん芸術の作り手はそうでなければならないのだが、そのアンビバレンツなところもこの映画はきちんと描いている。飛行機が描けなくなったといって延々悩む宮崎のこだわりはわかるけれど、周りの人間は大変だ。アニメーターの一人が『宮崎の作品に自分の全てを捧げられない人には、宮崎に関わると不幸になるでしょう』と漏らしていたのは非常に印象的だった。
民主主義と創作活動が両立しえないのは真実かも(笑)。

3.『今後 間違いなくジブリはやっていけなくなります』と宮崎が断言していたこと。宮崎や高畑の年齢のことは別にしても、作品の質を保ち続けることは並大抵のことではない。更にあれだけの数のアニメーターを食わしていくことの経営上の困難さ、前述したような表現の規制、自由な創作活動を阻害する障害はいくらでもある。宮崎や高畑はもちろん、経営を支えている鈴木敏夫もそれはわかっていると思う。それでも、この3人がやり方を根本では変えずに作品を作り続けているところが、ある意味 素晴らしいし、もっとも狂っている部分ではないだろうか。

他にも、60年代からの宮崎と高畑の深い絆、思っていた以上にビジネスより創作を優先する鈴木敏夫の人物像、自分は好きでアニメをやっているのではないと会議の場でわざわざ主張する(笑)宮崎吾郎宮崎駿が反対する中、鈴木敏夫に無理やりやらされたらしい)、など面白いシーンが一杯あった。

ドキュメンタリーではあるけれど画面が非常に美しい。ジブリの社屋周辺の環境に緑が多かったり、社内でネコや犬が飼われているところにもよるとは思うけれど、とにかく非常に美しい。その中でユニークで優しい、狂気の世界が繰り広げられる。
2時間を越える長尺の作品だったけれど、TVでは流せないような鋭い描写も多い、ジブリにそれほど興味がないボクでも大変面白い映画だった。次の砂田作品もぜひ見てみたい。




で、次に見たのが高畑勲の『かぐや姫の物語

                                                                      
お話はほぼ竹取物語のまま。とくに大きな改変もないし、凝ったプロットが入っているわけでもない。
だけど終盤には涙がとまらなくなってしまった。なんだか判らないが、こんな表現は初めて見た、としか言いようがない。恐らく、一つは絵の力なのだと思う。CMや予告編などで見ると、スカスカの空間も多い手抜き風の絵に見えるが、どうしてどうして。描写は怖ろしいほど繊細かつ鮮やかなのだ。こんな表現は今まで見たことがない。美しいという感想は月並みだが、とにかく美しい。まるで鮮やかな岩絵の具で彩られた日本画か絵巻物のようだ。

                                                                       
かぐや姫富も権力も、天皇の権威すらも否定して、心優しく生きようとする。だが、それが図らずも周りの人間をも不幸にする。そのような世の中の仕組みが段々見えてきたとき、彼女はどうやって生きていくのか。内容は竹取物語のままだけれど、こんなにラディカルで深い話だったとはこの歳になるまで気が付かなかった。古臭さなんて微塵もない。

日頃 世俗に追われて、鎧で覆ったボクの冷たい心の奥深いところに、直接触れられたような気がする。温かい手で上からそっと包まれた気がする。この映画を見ることは、なんとも得がたい体験だった。

この作品はスケジュールも予算も大幅超過、費用は50億円以上かかってしまって赤字は必至のようだ。鈴木敏夫を始めジブリの面々が文字通り絶句して頭を抱えたのもわかる(笑)。だけど観客の立場としては絶対 見る価値がある。前衛的だけど懐かしい、今まで見たことがないものに触れられる作品だからだ。

アニメでこんな想いをするとは思わなかった。驚くべき作品。『風立ちぬ』も良かったけれど、それより遥かに好き。