SY1698の日記 RSSフィード

2013-05-15

[][]「世界の満州国」の成り立ちを探る。 00:03 「世界の満州国」の成り立ちを探る。を含むブックマーク

前日の続き。

OSSK関連が「松竹演芸内報」に記載されていないことは前述のとおり。ただし、SSK公演なら「少女歌劇」「松竹八十年史」「松竹歌劇団五十年史」にも写真が載っていない「グランドレビュー世界の満州国」の概要くらいは書いてあるだろうと思ったら、これは予想通り記述が散見された。これは陸軍省新聞班松井眞二少佐監修のもと製作されたもので、十景あるにもかかわらず配役その他が一切記述されていない。ただし、この時期は丁度満州国康徳帝(溥儀)が来日していたことに注目すると若干謎が解ける。1935年4月10日は東京市主催の奉迎会にて歌舞伎などの演劇を観覧しており、また10日〜12日の間は「日満関係者、要人、随員等を同劇場に招待し」とある。

では、なぜ同公演を取り上げた「少女歌劇」1935/4月号が刊行されなかったのであろうか。すでに校正が完了していた雑誌が急遽発刊を停止されるとは尋常ではないが、これはおそらく同誌の抱える性格に起因していると考えている。実はこの雑誌は、当時にしては尋常ではないボリュームを誇り、なおかつ雑誌後半部数十頁に読者・ファンの声をまとめてそのまま掲載していた。個人的な想像の域にとどまるが、この部分に不穏当な表現が見つかったか、あるいは「奉祝レビュー」なので一切の論評批判は許さないということで刊行停止を余儀なくされたとも考えられる。どちらにしろ、一切の公式記録から写真が途絶えてしまった同レビューについては、論考の余地が大きいのは事実である。

[]「陸軍省新聞班」の役割など(はしがき) 00:18 「陸軍省新聞班」の役割など(はしがき)を含むブックマーク

陸軍省新聞班」の役割を考えるのもなかなか興味深い。特にそのような中、阪神急行電鉄(阪急)ほど時局に迎合的でなかった松竹系各社がどのような形で当局と折り合いを付けたかは気になるところである。これは、鉄道会社と映画会社それぞれの官庁に対する対応の差異ともいえ、また興業系は特にその辺りに手馴れている側面があったのかもしれない。ただし、当時「ターキー会」会員が外地を含め2万人を数え、会誌刊行部数が7万部をも数えたほどの勢いを有するSSK、また姉妹劇団のOSSKを当局が無視できようもはずはなく(また下手に抑えこもうとしても「桃色争議」の二の舞になるのは避けたかったはずだ)、それもある意味SSK/OSSKが宝塚ほどには迎合的な態度を取らずに済んだ一つの要因とも考えられる。

ただし、圧倒的に資料が散逸しており、一次資料を押さえるのに難儀する。

2013-05-14

[][]本日の査収案件正史編) 20:10 本日の査収案件(正史編)を含むブックマーク

午後は「正史」確認のために赴くが、やはり1934/05が謎である。一応、出港日を特定する資料は出てきたが、どのような演目かは不明とのこと。「松竹演芸内報」でもOSSKに関する部分が空白になっているのは「桃色争議」後、一時的に劇団を「大劇」所有者の「千日土地興業」に切り離した経緯があるためだが、それに加えて東側(SSK)が全国区のスター(ターキー・オリヱ)を抱えていた反面、争議後主力級を失った西側(OSSK)という事情も大きい。

よって、このようなことが考えられる。

(1) 経営悪化にあえいでいた「東洋劇場」を「千日土地興業」が買収。

(2) 改装までの間、観客動員の期待できるSSKを関西公演に振り向ける。

(3) OSSKはその間合い運用で、関東州満洲方面への海外巡業へ。

(4) 8月に「大劇」改装完了、大々広告で観客動員(゚д゚)ウマー

「千日土地興業」はおそらく「松竹大阪支社的な存在を担っていたのではないか。「松竹演芸内報」は「演劇」「レビュー」「映画」「SY(松竹洋画)」のカテゴリーに分けられており夫々のトピックスがほぼ毎日刊行されていたが、ここに関西方面の動静が全く記載されていないことがそれを裏付ける。大阪側でもこういう内報を作っていた可能性があるとはいえ、あいにくその実存は立証されていない。残っていればここまで調査が難航するはずもない。

あと「グランドレビュー 世界の満州国」だが、これに関する記事がないのは康徳帝陛下「天覧」レビューだった可能性が考えられる。何しろ「松竹七十年史」「松竹歌劇団五十年史」にも写真が残っておらず、「少女歌劇」当該号は校正完了にもかかわらず「諸般の事情により発刊できなかった」と伝えられているからだ。明日はもう一度、残存資料による詰めを行い、さらなる論考の可能性を練ってから、午後会社に向かう予定。

[]「山ガール」のはしりだ 21:44 「山ガール」のはしりだを含むブックマーク

f:id:SY1698:20130514210403j:image

「少女歌劇」1936/12より。写真はオリヱ津阪。なにこの山ガール

80年近く先を突っ走った(預言した)この口絵っていったい

2013-05-11

[]本日の査収案件(演博資料編) 23:18 本日の査収案件(演博資料編)を含むブックマーク

http://www.waseda.jp/enpaku/

こんなところに逝ってきた。

最初は『少女歌劇』に『松竹演芸内報』探せば楽勝やろと思ったら全然楽勝じゃなかった。結論から書くと「OSSK」の扱いは1933年の時点でかなり松竹内部でも冷淡だし、1935年以後になるとその名前すらほとんど見なくなってくる。おまけにNDLにもなくてさすがにあるだろうと思った「グランドレビュー世界の満州国」を取り上げるはずだった*1『少女歌劇』の当該号が諸般の事情により発刊できなかっただとか*2、なんとなく想像はついた。ただし、ほぼ日刊『松竹演芸内報』1934.1/1〜6/30を流し読みし、『少女歌劇』1933〜1936年刊を創刊号からまた流し読みして、ネタにでもなるべかというようなものだけは適宜見繕って複写してきた。

http://blog.livedoor.jp/chidori527/

こちらのサイトのおかげです。感謝。

【余録】『少女歌劇』1933/10 (通号2) P.26

(一、松竹少女歌劇をご覧になっての感想)

現在少女のみのレビュウではいつまで経ってもそれ丈だ!

(ニ、松竹少女歌劇は将来どうゆう道を辿るべきでせうか?)

私はレビュウは本格的に男性を交ぜてやれば面白いと信じている、私の宝塚ではいろいろな事情があってそれが出来ない、にも拘らずしばしば試みて再三中止した

小林一三先生 何を書いておるのやw

[]「OSSK」の扱いと経営母体について。 23:57 「OSSK」の扱いと経営母体について。を含むブックマーク

本来「大阪松竹少女歌劇団」(以下「OSSK」と記す)というくらいだから、『松竹演芸内報』にその関連情報が書いてあるかと思ったが、全くないのである。いくらなんでも1934年満洲公演を実施するくらいだから、事前にそういう計画くらいは示されていようはずだがそれもない。これは大阪劇場を買収したのが(当時)兄弟会社の「千日土地興業」*3だったこともあろうし、また1933年に東西で発生した「桃色争議」の影響で東西分断政策をあえて取った可能性もある。『少女歌劇』では「大阪楽劇部」という表記が稀に見られるのはそういうことだろう。

不思議なことに、同誌 1934/5(P.38〜42)では珍しく5頁も割いて「大阪楽劇部」を取り上げているのだが、「更生」という表現が散見されるのはどういうことか。*4松竹七十年史」ではこの時期満洲公演を行ったとの記述があるが、同記事にはそのような内容は一切触れられていない。おそらく「桃色争議」(高野山籠城)後に経営母体も事実上移管し、さらに劇団刷新のために一時的に満洲に公演に出した形にしたのか、そこまで踏み込んだ推測はできないのだが、同時期にわざわざ「SSK」が関西公演を行った意味は何なのだろうか。宝塚に対抗してという意味ではないようにも思える。

f:id:SY1698:20130511234208j:image『少女歌劇』(1935/2)P.60

「OSSK」の字体がロシアアバンギャルド風でなかなかよい。「薔薇の乙女」主演は雲井八重子(右)、秋月恵美子(左)。「OSK90年史」によると「メイド役」は「当たり役」になることが多かったそうである。【爾後修正】

f:id:SY1698:20130511234226j:image『少女歌劇』(1935/2)P.61

松月さゑ子(配役名は「田舎娘」とのこと)なかなか萌えますな

[]戸塚の山中に突如現れた「廿一重塔」 00:15 戸塚の山中に突如現れた「廿一重塔」を含むブックマーク

http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/c/7496adc77ecbfd5fbaf33c25a1149ede

「ホテルエンパイア」の末年ならびに廃業後の潜入記。これは知らなかった。

*1:1935/4編集後記では「雑誌を月刊に致すことになりました」と記載。

*2:1935/6編集後記では「五月号は校正も全部済ましていたのですが、色々の事情で月刊中止」

*3:のちの「千土地開発」→「日本ドリーム観光」。「てつ」的には設計不良で運休に追い込まれたドリームランド線で有名だが、その後の「千日デパート火災」といい、創業者没後の支配権争いといい、かなりアレな会社であった。末期はダイエー吸収合併され法人格も消滅。

*4:さらに翌年には主力となる秋月恵美子、雲井八重子、松月さゑ子などの名前も全く触れられていない。

2013-05-08

[]本日の査収案件23:42 本日の査収案件。を含むブックマーク

鉄道史学」第21号(2003/7) 鉄道史学会(日本経済評論社)

先日査収した「図説晩清鉄路」シリーズを補足する意味で、また同学会の研究動向を確認する意味で購入。学会のテーマが自分の研究内容より先を逝っているか、あるいは自分の取り組みようが異質で誰もついてこられなくなっているか、そういう点で興味もあったのだが、なにぶん趣味者の分際があんなブツ(「論叢」類のかきもの)を送付しても査読段階で「ボツ」とか言われそうな硬質な内容で若干恐懼している。

書泉グランデでは最近海外鉄道コーナー(特に東南アジア方面)が充実しつつあるのだが(「図説晩清鉄路」シリーズがセットで置いていたのにはびっくりした)、今日は総頁数600を超えるタイ鉄道旅行記を見て絶句。よくあれだけのものを書いたなと思うし、印刷コストを考えたらとてもじゃないが頒価(\2,500)で原価割れしそうなように思えてならん。

[]それでも貨車は走る。 23:42 それでも貨車は走る。を含むブックマーク

でも自分が去年に査収した「中国鉄道貨車」関係書籍なんぞもはや誰得というレベルで、個人で収集しない限りは調達できんのだ。それも上海市内でさえ「上海書城」は「高鐵」「地鉄」関係の書籍に傾斜しているので、北京市内までわざわざ出向くことを考えると絶望的になる。「2012年全国鉄統計摘要」が東方書店内山書店経由で版元直接注文できればいいのだが(「鉄道部」解体により刊行が遅延している可能性も否定できない)。技術誌なら「中国鉄路」は2001年以後なら国会図書館関西館に所蔵しているのだが、それ以外の技報類はなかなか入手が難しい。

2013-05-06

[]暫停復活、帰投報告。 17:23 暫停復活、帰投報告。を含むブックマーク

f:id:SY1698:20130505141236j:image

f:id:SY1698:20130505144218j:image

何しろ4日間の駆け足日程だからせいぜいこの程度で、画像の半分は子供の写真で埋まる罠。

最近の滬杭線は動車組が高速専線に移管されたためか運行時間の偏りが極端で、上りはT78(SS8)の後は1時間も来ず、下りがT101(DF4D)、K123(HXD3C)、T281(DF11:晩点30分)、K575(HXD3C)しか見かけず。上りは完全な逆光だから来ないでも仕方がない。だいたい行きにしてもわずか三十分弱の移動で一等座だとか(二等座售完)、貨車の姿すら全く見かけぬ始末。

これらの車輌、ヘッドライトを見るとLED化された形跡があり、遠方からのほうがよくわかる。

[][]今回の査収案件17:23 今回の査収案件。を含むブックマーク

「図説晩清鉄路」中国鉄道出版社

「図説民国鉄路」中国鉄道出版社

「図説建国初期鉄路」中国鉄道出版社

「鉄路貨車検修重点工芸与質量控制中国鉄道出版社

中華人民共和国行政強制法」法律出版社

中華人民共和国精神衛生法」法律出版社

もはやここまで来ると上海書城に赴いても目新しい書籍は見当たらず(高鐵と地鉄の本ならそれなりにあるが、私は専門外なので手を触れず)、この程度に留まる。最後の2つはもはや誰得というレベルで、こんな知識を持っていても中国に駐在する意味が存在しないという物件w

【爾後更新】

「図説晩清鉄路」「図説民国鉄路」「図説建国初期鉄路」の3巻は書泉グランデの海外鉄道コーナーで販売中(5/8確認済)あと「行政強制法」「精神衛生法」は東方書店内山書店に在庫があるかもしれない(なければ勘弁)

nimo5nimo5 2013/05/16 16:42 大変御無沙汰いたしております。
かつてのお気軽跨線橋も、山陰線以下の運転頻度とは哀しい限り。
それでも尚、25Kの長大編成が活き長らえている姿を見ますと安心します。

福眼 福眼

SY1698SY1698 2013/05/16 20:11 ごぶさたしておりますー

高鐵の開業で動車組も全面的に新線に移ったため、ここを通過する列車も時間が偏る傾向があり、さらに緑皮車もこの地域から消えて久しいですが、DF4D/DF11牽引の25K特快も残っていました。HXD3/HXD3Cなどがかなり増えてはいますが、貨物列車はまだDF4牽引のものが少しは残っているようです...(昔は上局杭段がDF4の巣だったのですが)

1枚目のT101次、全線電化区間なのにDF4Dなんですよねえ