「バキバキ」は他人事ではない


http://togetter.com/li/937461高嶋ちさ子大炎上なわけだが、実はこれって育児クラスタでは他人事ではないんじゃないかなと思う。特に買物で外出すればはしゃぎ回って鉄砲玉のように飛び出す子供なんか持ってみろ、紐で拘束してカートに乗せて運びたい気分にならなかったことのない親がいないわけがない (詳細は前日のエントリ参照)。もっとも、いつも感情乱れず「どうしたの?」と話を聞けるほどには人間ができていないから、こういうのを見て考えさせられたのだが、それでも家の中が掃き溜めになっているのを見るとやはり心は濁るのである

最後の通院 (週明けも不安だ)

行ける時間がないやん。しゃあないやろ。土曜日午前中しか首と肩の治療に割ける時間がないのだが、明日が最後の通院になりそうなので、今度はどこに通おうかとか考えなあかん。いっそのこと、カルテとか引き取ることは可能なんだろうか。

それ以上に、週明けの本業が不安だ。そうでなくとも細い戦力でやりくりせなあかんのに、今まで踏ん張ってくれた同僚がそろそろ「SAN値ゼロ」状態になる予兆を感じて焦っている。週明けの業務に備えて手持ちメモを整理して段取りを考える作業のために休憩しておったら23時過ぎ、帰宅したら家族は寝てた

人間は「感情」の生き物でしょう

いや、子育てに悩んで色々な事例を聞いて思うのだが「子供は親を見て育つ」というのはわかる。ただし「子供は親の言う事は、親を見た時と同じときのみ従う」という表現が迂遠にしてわかりづらい。

もはや物心のつき始めた子供のいうこと聞かなさぶりにはほんと手を焼いてて、「キレない」で接し続けるというのが理解できないのです。前に比べれば日本語は通じるようになりましたが、それでも「どうしたの?」と聞くのが「その善なるは偽なり」すなわち意識的にやってるなという感覚か、あるいは特に暴れないから楽やなあと落ち着いたときでなければ自然にできないのです。部屋の中はゴミ溜めなんでいっそのことゴミ全部子供の部屋に移したろかと思う気持ちを抑えつつ夜食を食うが、カレーの中に放り込まれた肉団子と海老と牡蠣というアンマッチな代物に言葉も出ぬ。この料理のセンスのなさたるや...