欲求


  夕方、窓から見える外の景色が真っ赤になっていて、驚いて外に出た。
空にはうっすらとした雲が一面に広がり、
沈みかけた太陽の真っ赤な光がそこに映し出され、
まるで、水色の空に真っ赤な絹が棚引いているようだった。
夢中でシャッターを切った。
私は昔から、夕暮れ時のこの空が好きだった。


  この一週間、日に一回はこの言葉を思い出していた。
「芸術というのは、自分の血を売るようなものなんです。」
大川先生は私にこう言ったのだ。
高校1年生の時、この先生に現代文を習っていた。
何回か授業を受けた頃、直感で、
「あぁ、この先生に文章を指導してほしい」
と思い、ある日、文章を一つ持っていった。
それから、折りに触れて私は先生の部屋をたずねるようになった。
私が2年生になる時に先生は校長になり、
先生の許可を得て、私は校長室に入り浸るようになった。
校長室には、先生の私物の絵画が沢山飾られていて、
日を追うごとにその数が増えていった。まるで、画廊のような校長室だった。
私が高校を卒業して一年後の2006年の3月31日、先生は退職した。
その日の夕方、私は久しぶりに校長室へ行った。
「ちょうど、帰ろうと思っていたところでした。
 君が、最後のお客さんです。」
先生は言った。
「絵はどうされるんですか?」
「今あるものは、ここに置いて行きます。
 必要な物は、もう持って帰りました。」  

  
  私が人前で「物書きになりたい」と宣言したのは、
もしかするとこの先生に言ったのが最後だったかもしれない。
先生は、よくも悪くも、私に、文章を書いて食べていくことの辛さを教えてくれた。
先生は最後に私に言った。
「吉田君、芸術は趣味でやるものです。
 芸術家の仕事というのは、自分の血を売るようなものです。
 志賀直哉という男はいい作品を沢山残しましたが、
 彼は父親の財産のおかげで自分は稼ぐ必要は全くなく、
 趣味で書いた小説があたったのです。
 小説も含め、芸術とは趣味でやる物なんです。」


「もんもんと悩んでるなら、いっそ、飛び込んだ方がいいですよ。」
とシェフに言われ、
私は、親も何もかもを捨てて自分勝手な人生を選ぼうかと、
この一週間悩んでいた。




  私は人前で泣くのが嫌いなのだけど、
たった一度だけ、自分の将来について泣きながら岸野さんに相談した。
「家にお金を入れなくてはならないから、就職しなきゃいけない。
 自分が本当にやりたいと思うことを諦めて、
 家のために安定した収入を得られる仕事に就いたとして、
 でもいつか親は死んでしまう。
 そうなった時、後悔するのが嫌なんです。
 他の誰の物でもない、自分の人生だから。
 誰も代わってはくれない、
 死ぬまで私は自分の人生を背負っていかなくてはいけないからです。
 そう思うと、どうしたらいいのか、わからなくなるんです。」
結局  会社に就職した今でさえも、その悩みは続いている。


  自由になりたい。
いつも思う。
世の中には、案外、自由な人は少ないのだと思う。
そして、私はきっと、人から見れば割と自由な人間なのだと思う。
自分でも、自分は自由に生きていると感じることがある。
でも、もっともっと自由になりたい。