ばななと元旦

  2010年のスローガンは「誘いは断らない」だったので、
2011年もスローガンをかかげることにした。
「実現する」。
それが、今年のスローガンです。
 

  今年は私も25歳になるわけで、
なんだかもう  すっかり実感がわかないのだけど、
でも、それは紛れも無い事実なのである。
25歳なんて、
成人して5年目、
たとえば会社で5年目なんていうと、それはもう立派な経歴で、
仕事のだいたいのことを覚えて自分のやりかたで色々と成果も出せるような、
それくらいのキャリアである。
だから25歳なんて言うと、もう立派な大人、
人生を謳歌しようじゃないか、という年齢である気がする。 


  だから  くすぶっているなんて勿体ないなぁと思うのだ。
ぱっと華開くような、
そんな年にしたい。

  
  それはそうと、初めてよしもとばななの本を読んだ。
国語国文学科で日本文学の勉強をしていながら
よしもとばななも読んだことがなかっただなんて、恥ずかしい話だ。
今ではヨーロッパに住んでいる外国人だって、読んでいる。


  ぽわんと柔らかい文章でありながら、芯があって、
上手く言葉にはできないけれど、
あぁこれは世界的な作家になるよなぁと思った。


  近年、読みやすい柔らかい文章を書く女流作家が多い。
とくに若い女性の作家は、
現代の口語に限りなく近い文体で、若い人にも親しみやすい文章を書いている。
よしもとばななの文体もそれに近いのだけど、
だけど  どこかに正統派の文語の匂いも感じさせる。


  私は多分、普段話したりしている分には、
こういう  ぽわんとした印象を与えているのだろう。
だけど、文章はと言うと決してぽわんとした柔らかさはないように思う。
江國香織唯川恵のような艶も、みずみずしさもない。
いつか似ていると言われたことがあるのは、
角田光代山田詠美などだった。
「彩乃ちゃんは、切りかかるような、鋭い文章を書く」
とも言われたことがある。
鋭いというのは、思想や意見にキレがあると言うよりかは、
選ぶ言葉の角ばった感じを表しているのだと思う。 
私は、自分のそんな文章が好きだ。
うまいか下手かという点においては、
下手だなぁと思うし、自分の文章を好きだとはとても言えないのだけど、
文体の淡々とした感じは、好きなのだ。
自分で言うのもなんだけど。


  去年一年、私は、心のどこかで恥ずかしいなぁと思いながら生きていた。
久しぶりに会う人たちに自分の仕事を話すたびに、
「あぁ、なんだかなぁ。」
とふがいない気持ちになっていた。
それは、思うように就職できなかったからとか、
中小企業の小よりの会社に入ったからではない。
好きだったこと、自分にはこれしかない、と思っていたものに対して、
ろくな努力もしないで逃げ回った結果、
いま、自分がここにいることを恥じていたのだと思う。
ものすごく頑張って、努力しても、それでも思うような結果を得られず、
ワイン売りをしていたのなら、まだマシだった。
何にも頑張らないでワイン売りを選んだ自分が、恥ずかしかったのだと思う。


  10月以降、そんな私に助走期間を与えるかの如く、
昔の自分を思い起こさせる出来事が立て続けに起きた。
あぁそういえば私はこんなことが好きだったんだ、
自分にはこれしかないと思い込んでいた物が私にもあったんだ、と、
色々な人に出会う中で、
自分自身を取り戻したような気がした。
そして年末に、高校の時からの友人の芝居を観に行った。
彼女の高校時代を彷彿させる役柄だったせいか、
彼女と出会った時のこと、
「役者なんてうさんくさくて好きじゃない。
 でも自分にはこれしかないんだという気もする」
と書いてあった彼女からの手紙や、
彼女が今所属している劇団の面接の前の晩に電話で話したことなどを
思い出した。
私だけが止まっていた。
彼女が劇団に入ってからの、
私には想像もできない6年という年月について考え、
私は、止まってしまっている自分自身について考えずにはいられなかった。


  だから、今年は、「実現」の年にしようと思ったのだ。