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2016-07-01

司馬遷の書を読んでみようファイナル

その14(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160629/1467129692)の少しだけ続き。



補足である。




司馬遷の任安への手紙は、ここまで読んだならご理解いただいたと思うが、任安が獄中にあることを知った司馬遷が出したもので、任安から司馬遷への「賢明な士大夫を推挙すべし」という求めがあったことに対する返答という形を取っていた。




司馬遷からの返答の中ではしきりに「士大夫としての誇りを保つためには自殺しよう」と勧めている。


これは一見すると士大夫の推挙とはあまり関係なさそうに思えるが、もし「推挙」が暗に「自分をまた取り立ててもらえるようにとりなしてくれ」という事実上の助命嘆願だとすれば全てが繋がる。


司馬遷は「助命嘆願をしても自分にはそのような発言力は無いし、誇りある士大夫ならそんなことをせずに自ら誇りある自決をすべき」と言っているのだろう。



そして司馬遷はそれだけではなく、「僕がちょん切られた時はどうでしたかね・・・」などと自分の時を思い出させているので、任安が自分への弁護などをしてくれなかったことを良く思っていないのだろう、と考えられる。



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2016-06-30

【悲報】今年、あと半分

もう6月も終わりですよ。


つまり西暦2016年も半分終わりましたよ。




・・・マジか・・・




ショックで一回休み。

2016-06-29

司馬遷の書を読んでみよう14

その13(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160627/1466954208)の続き。もうすぐ終わる。




且負下未易居、下流多謗議。僕以口語遇遭此禍、重為郷黨戮笑、汚辱先人、亦何面目復上父母之丘墓乎?雖累百世、垢彌甚耳!是以腸一日而九回、居則忽忽若有所亡、出則不知所如往。毎念斯恥、汗未嘗不發背霑衣也。身直為閨閤之臣、寧得自引深臧於巖穴邪!故且從俗浮湛、與時俯仰、以通其狂惑。今少卿乃教以推賢進士、無乃與僕之私指謬乎。今雖欲自彫瑑、曼辭以自解、無益、於俗不信、祗取辱耳。要之死日、然後是非乃定。書不能盡意、故略陳固陋。

(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)




下々の者に背けばこのままここに居ることもできず、誹謗が多い。僕は弁舌によってこの災いに遭い、更に郷里の笑いものとなり、先祖の名を汚すこととなった。何の面目があって父母の墓に行くことができようか?百代先になったとしても、その汚辱は酷くなる一方ではないか。


そこで僕は一日に九回も腸が捻じれそうな苦しみを味わい、家に居ても失意のあまり死んだようであり、外出しても行くところも分からないような有様であった。常にこの恥辱のことを考えると、汗が背中をつたってくるのだ。


僕は後宮に仕える身であるから、どうして洞穴に隠れてしまうことができようか!


そこで世俗に従っているうちに僕の常軌を逸して道理の通らぬ思いを通すことになったのである。


今、少卿は僕に賢者を推薦すべきと求めているが、どうして僕自身の気持ちと異なっているであろうか。(僕もその気はあるのだ。)


だが、今、(宦官の)僕が自ら美文を以て人を推薦したとしても、何の益も無く、世間にも信用されず、恥辱を増すだけのことだろう。


このことの是非は、死ぬ日になればわかることだろう。


書は僕の気持ちを伝え切ることはできないものの、敢えて僕の見識の無い意見を述べさせてもらった。



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2016-06-28

処刑されても悔いは無い(処刑されない)

草創未就、適會此禍、惜其不成、是以就極刑而無慍色。僕誠已著此書、藏之名山、傳之其人通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉!

(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)




司馬遷は、「『史記』完成のために敢えて宮刑を受けた。完成した今は一万回処刑されることになっても悔いはない!」といったことを述べている。




だが、実際のところ司馬遷が非業の死を遂げたとかいったことは『漢書司馬遷伝などには書かれておらず(というか死亡時期等が明確でない)、中書令という武帝の近臣の中でも特に重要な地位にあったまま天寿を全うしたんではないか、と思う(任安への手紙の内容からすると宦官になって以降は処刑に結びつきそうな目立った言動自体慎んでいるようにも見える)。





別に司馬遷が嘘をついたわけでもなんでもない、単なる修辞でしかないことだが、そう考えるとちょっと面白いなあ、と思う。

2016-06-27

司馬遷の書を読んでみよう13

その12(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160625/1466784494)の続き。たぶんそろそろみんな飽きてる頃。




古者富貴而名摩滅、不可勝記、唯俶儻非常之人稱焉。蓋西伯拘而演周易。仲尼戹而作春秋屈原放逐乃賦離騷。左丘失明厥有國語。孫子髕脚兵法修列。不韋遷蜀世傳呂覽。韓非囚秦、説難・孤憤。詩三百篇、大氐賢聖發憤之所為作也。此人皆意有所鬱結、不得通其道、故述往事、思來者。及如左丘明無目、孫子斷足、終不可用、退論書策以舒其憤、思垂空文以自見。

僕竊不遜、近自託於無能之辭、網羅天下放失舊聞、考之行事、稽其成敗興壊之理、凡百三十篇、亦欲以究天人之際、通古今之變、成一家之言。

草創未就、適會此禍、惜其不成、是以就極刑而無慍色。僕誠已著此書、藏之名山、傳之其人通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉!然此可為智者道、難為俗人言也。

(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)




古より、富貴の身であってもその名は後世消え去っているという事例が数え切れず、極めて優れた尋常ではない者だけが後世でも称えられているのだ。


西伯(周の文王)は軟禁されたが周易を敷衍した。孔丘先生は困窮したが『春秋』を作った。屈原は放逐されたが「離騒」を詠んだ。左丘明は失明したが『国語』を著した。孫子孫臏)は足を切られたが兵法を編集した。呂不韋は蜀に配流されたが『呂覧』は世に伝えられた。韓非子は秦で虜囚となったが「説難」「孤憤」を書いた。詩経の三百篇の多くが賢人・聖人の憤りから歌われたものだ。


彼らは皆鬱屈した思いを抱え、本来行くべき道を遮られたことから、過去のことを記し、未来に思いを馳せたのである。


失明した左丘明、足を切られた孫臏などは道を完全に閉ざされてしまったため、著述の道に退いて憤った思いを述べたのである。


僕は自分を無能と謙遜しつつ天下の歴史や伝承を網羅し、その興廃の理論を考えて百三十篇の書を著した。天と人との関わりを究明し、古今の変化に通暁し、一つの理論体系にしようと思ったのである。


だがその執筆が終わる前に例の災いに遭遇し、書が完成しないことだけが心残りだった。そのために宮刑という誇りを失う極刑を受けても恨みも無かったのだ。


僕は既にその書を完成させて原本は名山に収め、写しは人々に広まっているので、僕はかつての屈辱を受けた責めを償い、もはや処刑されたとしても悔いなどないのだ。


だが、このことは賢者に対して言うことであり、普通の人に対しては説明しがたいことである。



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