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2016-07-29

ひとこと

三國無双」で実の母に対して「勝てそうですぜ!」とか言い出すモブをここまでプッシュするワイは烈祖様に感謝されていいよなあ。

2016-07-28

烈祖ひとこと

中国歴代王朝の廟号としての「烈祖」は、魏王朝の烈祖様の後も何例か使われている(例えば元のテムジンの父への追尊)が、「世祖」あたりと比べると同じ「祖」でも少し少な目に思う。



魏の烈祖様のせいだ、などとは言わないつもりだが、積極的に選んでいく廟号とは思われていなかったのかなあ、なんて考えてしまう。

2016-07-27

烈祖とは

伊尹乃明言烈祖之成徳以訓于王。

【傳】湯有功烈之祖、故稱焉。

【疏】傳湯有至稱焉。正義曰、湯有功烈之祖、毛詩傳文也。烈訓業也。湯有定天下之功業為商家一代之大祖、故以烈祖稱焉。

(『尚書』商書、伊訓第四)



「烈祖」というのは殷の湯王のことを伊尹が言及したものだったのか。




つまりきっと魏の烈祖様(曹叡様)の「烈祖」が踏まえているのは殷王朝の初代である湯王なのだろう。




王朝創業者たちはかつての創業者たちを色々と踏まえたりなぞらえたり重ね合わせたりするものだが、かの有名な曹操の発言などで周王朝を意識している印象の強い曹操曹丕に対して烈祖様はその前の王朝である殷というのはなかなか面白いところである。






もちろんそこまで考えてなかった可能性が高いと思うけど。

2016-07-26

張安世と司馬遷

数日前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160722/1469114760)で、私は「尚書令張安世は漢武帝に対して兄のため助命嘆願をし、そのおかげで兄の張賀は処刑ではなく宮刑で済んだ」という話を書いた。





一方、もう少し前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160701/1467299958ほか)では、中書令司馬遷は(おそらく)自身の助命嘆願を自分にお願いした任安に対し、「宮刑にされるなんて士大夫としては恥辱の極みなので、そういう時は捕まる前に死ぬものだよ(笑顔)」と有難いお説教で返答した。





張賀兄弟の例からは、任安も誰かそれなりの人物が本気で助命嘆願したら死は免れた(代わりに宮刑になるが)可能性があった、と言うことができるのではなかろうか。




司馬遷が執拗なまでに「宮刑になるより死を選ぶべき」と述べていたのも、当時は「死一等を減じた」先に待っているのが宮刑であったからなのだろう。




してみると、宮刑よりも自決を勧める司馬遷は、やはり処刑から任安を救うことはしない(あるいは、できない)ということを直接言葉にしないで伝えようとしていた、ということなのだろう。

*1

*1:最も、張賀と任安では罪状も違うので、司馬遷には任安は助命できそうにない、と思われたからこうなった可能性もある。

2016-07-25

漢代の列侯

高祖末年、非劉氏而王者、若無功上所不置而侯者、天下共誅之。

(『史記』巻十七、漢興以来諸侯王年表)



前漢高祖の末年、高祖と功臣は「劉氏でないのに王となる者、もしくは功績なく、皇帝領地を置いていないのに侯になる者は、天下の者は力を合わせて誅殺しなければいけない」との盟約を結んだという。





その後、呂后の時代には宦官の張沢(張釈)や蕭何夫人(蕭何の領国を継承)が、宣帝の時に皇后の父である宦官許広漢が列侯になっており、上記の盟約にさえ背いたものでなければ性別などは必ずしも問題ではなかったようだ。



また、匈奴からの降伏者も列侯となっているので、異民族であることも問題ではなかったのだろう。