・650年(唐暦永徽1.1.辛丑朔) 唐の高宗,李治は「永徽」と改元した。(『旧唐書』高宗本紀) ・650年 2.15 白雉を祥瑞として、元号が「白雉」に改められた。(『日本書紀』) ・651年(和暦白雉2) ?.? 新羅の貢調使が筑紫に到着した。そのときの使者は新羅の方針で唐風の衣冠を着ていたが、倭国は新羅が無断で習俗を変更したことを理由に追い返した。(『日本書紀』) ・651年(和暦白雉2) ?.? 葛城王は蘇我遠智娘との間に建王を儲けた。(『日本書紀』) ※蘇我倉山田石川麻呂の娘で葛城王の妻となった造媛は、父の自害の後に傷心が癒えず死去したという(『日本書紀』)。『日本書紀』は「或本」に…