いつか教えてよ


番組表を見ていたらLive Monsterにくるりが出るというので当たり前のようにチャンネルを回した。
久しぶりに見るくるりはいつの間にかメンバーが増えていて、その女性はトランペットを携えていた。
 
かつて、くるりに大いにはまった時期があった。
それは「ワルツを踊れ」がリリースされた時期で、それまで僕の中でオルタナティブと認識していたくるりというバンドが特別な存在に変わった瞬間だった。
毎朝行き帰りの電車の中で、休日の車の中で、僕の耳はくるりだけを求めた。文字通り、くるりの日々だった。
 
サウダージという言葉がある。ポルトガル方面の言葉らしいが、日本語にはおろか、それ以外のどの言語にも類似するニュアンスの無い言葉なのだそうだ。
くるりの、殊「ワルツを踊れ」の頃のくるりの楽曲には、このサウダージという概念を音と言葉で伝える力があるように思う。
 
手元には無い、でも、ここにある。
そんな感触。
 
くるりの曲を聴く時、僕はかつて僕の元を通過し、そして「しるし」を残して去って行った全てのものを思う。
それは時に今は音信の途絶えた友達だったりもするし、時に懐かしい街だったりもするし、そして時に昔の恋人だったりもする。
 
全ては過ぎ去った。
でもそれは、今だに僕の中にあるのだ。
 
くるりが最後に歌った曲は、久しぶりにそんな感傷を呼び覚ました。
 
トランペット、悪くないと思う。