おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだちマーク     (20世紀少年 第18回)

 
 ようやく第1巻第1章の最後の部分まで来ました。これまで、昔を懐かしみながら気楽に書いてきたのだが、今回以降はそうもいかない。いよいよ”ともだち”が登場する。ここではケンヂはまだ”ともだち”の存在を知らないが、読者にのみ、怪しげな団体によって敷島教授の家に残された印が使われている様子が伝えられる。

 どうやら”ともだち”は基本的に「言葉を発する」ことにより、信者の心を掴んでいるらしい。ところが初回登場場面では、いきなり宙に浮くパフォーマンスが披露されて、その足元の床にともだちマークが絵が描かれている。足下(あしげ)にしても良いらしいぞ。空中の彼は両腕を開いて斜め下に伸ばしており、その手先は例のマークと同じく人差し指だけ伸びた形をとっている。


 空中に浮く人間というと、私はどうしてもオウム真理教の教祖、麻原彰晃が座位のまま宙に浮かんでいるらしい写真を思い出す。オウムによる一連の凶悪な事件は、この連載の数年前に行われたものだから、当然、作者にも読者にも記憶に新しいものであり、出番が来て早々、浮かんでいるというのは、いかにも禍々しい印象を与える。

 90年代早々の私はサンフランシスコで働いていたのだが、妹の披露宴に出席するため3年振りに日本に戻った。式が終わって数日は実家でのんびり過ごしたのだが、ちょうど国政選挙の時期で、ヒゲ面の麻原が宣伝カーのようなものに乗って何やら喋っており、その周囲をゾウさんか何かのかぶり物を付けた娘さんたちが踊っていた姿をテレビで見たのを覚えている。後年、まさかあんなことまでするとは思わなかった。


 さて、第1巻に戻って、38ページ目と39ページ目に登場する”ともだち”は、うつむいていてはっきりとは分からないものの、39ページの絵には眉と鼻らしきものが写っているから、おそらくお面は付けていない。先に跳ぶが124ページにおいて、コリンズの話をしたあとで泣いている”ともだち”も、涙が見えるのだからお面はないはずだ。

 時系列に並んでいるのであれば、これらの姿はドンキー暗殺の前、ケンヂがマークの真相をつかみかねているころで、この当時の”ともだち”は素顔を平然とさらしていたことになる。

 その登場シーンは全体に暗いが、正面から照明が当たっている絵もあるし、最前列の見学者には充分、顔かたちが見える距離だろう。このころは顔を隠す必要も意図も無かったようだ。その後なぜ必ずお面を付けるようになったのか、今の私には分からない。おいおい考えます。


 ちなみに、オッチョがデザインした「俺たちの仲間の印」にある手先の模様は、オリジナルの少年サンデーのそれを忠実に再現しており、人差し指以外を折り曲げた左手の甲である。このため、188ページ目のように”ともだち”やその信者たちがキャンドル・ライトのように振りかざす掌は常に左手になっている。


(この稿おわり)



まだまだ健在。今週号の少年サンデーより。



































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