おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

松の湯 (20世紀少年 第431回)

 今回も雑談から始めます。1968年、蛙帝国とメキシコ・オリンピックの年、小学校2年生だった私たちの間に流行り歌があった。生まれて初めて唄った英語の歌かもしれない。もっとも英語の歌詞の部分は歌えなくて、最後のコーラスだけだったが。

 しかも発音が分からず、「ダダダ」とか「ナナナ」とか「ラララ」とか、みんな好き勝手に歌っていた。私は誰の何という曲なのかも知らずに合唱に加わっていたが、中学生1年生になって、それを口ずさんでいたときに、クラス・メートから教えてもらった曲名が「ヘイ・ジュード」。ザ・ビートルズ。 


 先日のロンドン・オリンピック開幕式でポール・マッカ―トニーが歌った。そろそろ古希のお年頃だと思うが、声量はともかくキーは昔のままらしい。オリジナルのシングル・レコード・バージョンでは、最後のリフレインのコーラスに入る直前の辺りで、ジョン・レノンのバッキング・ヴォーカルが入る。

 おそらくわざと素人っぽく歌っていると思うのだが、音程は確かで音ひとつ外していない。ジョンも生きていたらお祭り好きな人だから、この日、元相棒に付き合ったろうか。ポールは今回、「ナナナ」の部分で「Don't let me down」と言っていました。この歌の歌詞の一節でもあり、ジョンの歌の題名でもある。


 閑話休題。第14巻の192ページ目で、コイズミはヴァーチャル・アトラクションの中から現実に戻った。今度は幸いなことに頭が痛む程度で、前回のような惨憺たる帰還ではなかったのだが、ヨシツネ隊の二人もコイズミ本人も驚いたことに、ヨシツネとカンナは一緒に戻らなかったばかりでなく、それまでいたはずの最終ステージからも消えている。

 推測の域を出ないが、二人はコイズミが見たお面の下の顔を多分のぞいておらず、そのまま歪み切った最終ステージから、他のステージに飛ばされてしまったらしい。加えて二人は、別々のステージに着いた。ヨシツネは、気が付くと草原に仰向けで横たわっており、セミの声が聞こえてくる。彼もやっぱり頭が痛い。


 ヨシツネは最初、ここは秘密基地の原っぱかと思った。だが、先ほどボウリング場がすでに建っていたのを思い出し、周囲を見渡すと銭湯の煙突が立っている。その位置関係から、彼はここが火事で焼失した醤油工場の跡地であることを知る。前回のコイズミが、少年たちと共に長嶋選手のサイン・ボールを猛犬から取り戻した工場跡地は1年経って雑草が生い茂っている。

 銭湯の煙突には、「松の湯」と書いてある。この煙突は、第16巻の巻頭カラーのところで、虹の絵とともに出てくる。ヨシツネやケンヂたちの少年時代は、町で一番背の高い建築物だったかもしれない。だが、日本全国の多くの銭湯と同様、自宅にバスルームがあるのが当然の時代になって、松の湯も姿を消した。


 第1巻の164ページ、1997年、缶カラを探すため秘密基地のあった場所に向かってケンヂたち一行が歩いている。モンちゃんが「なんだ、このビルは?」と尋ねた建物はマルオによるとフィットネス・クラブである。モンちゃんの質問、「松の湯は?」に対するケンヂの答えは、「そんなもの、とっくの昔になくなっちゃったよ」。モンちゃんは中学校のとき転校したので知らなかったのだ。

 続いてケロヨンがモンちゃんに、「よく女湯のぞきに行って、松の湯のオバさんに熱湯かけられたっけなあ」と昔話をしており、モンちゃんは実に残念そうに、「これじゃあもう、のぞきは不可能だ...」と嘆いている。「ポルノ映画館」の国際劇場も、紳士服のコヤマに変わっている。モンちゃんの思春期前半を彩った諸施設は、時代の波に流されて消えた。


 私が銭湯のお世話になったのは、学生時代の京都での4年間と、それに続く東京での会社の独身寮時代である。風呂代はタオルと石鹸代を加えても安価であった。一般的なのかどうかは知らないが、関西の銭湯は向かって右の入り口が男湯で、逆に関東では女湯が相場だという話を聴いた覚えがある。わずか数軒の体験に過ぎないが、私の知っている限り、昔はこの法則どおりだった。

 当時の銭湯は、現代のスーパー銭湯とやらとは異なり、建屋が開放的な作りで、更衣所にクーラーなどないから、夏場は女湯も窓を開けっ放しだった。したがって、見るところから見れば見える。ただし、当然ながら反対側からも見えるので、ケロヨンやモンちゃんのように厳しく撃退される恐れがある。彼らは子供だから熱湯で済んだが、私はそういう年齢ではなかったので自粛せざるを得なかった。


 さらに言えば(力が入って参りました)、私たちの年代は日活ロマンポルノの開花期をリアル・タイムでは知らない。先日、八重洲の地下街で本屋を冷やかしたところ、その名も「ロマンポルノの時代」というはなはだ魅力的な感じの新書を売っていたのだが手元不如意につき購入は断念、ちょっと立ち読みしただけで終わってしまった。

 この本の第1章のタイトルが、その名も高き「団地妻シリーズの衝撃」となっているのが嬉しい。同シリーズは1971年に始まったと文中に書いてあった。「20世紀少年」には何種類かの成人映画のポスターが出てくるが、「団地妻」が出てくるのは第1巻第9章の扉の絵だけで、ケンヂたちが秘密基地を追い出されたあとだから、やはり1971年だろう。時代考証は正確である。

 タイトルの「姫始め」については、広辞苑にも載っていないので、興味ある方はネットなりでお調べ願いたい。ジジババの店に貼ってあるポスターによると、主演女優は「黒川桐子」であるが、おそらく白川和子と片桐夕子の合成であろう。遠藤キリコは関係あるまい...。私がそういう映画を観に行き始めたころは「桃尻娘」の時代になっていた。


 当時の銭湯の番台は愛想が悪かったという印象があるが、それにも増して、菓子屋と文房具屋の子供たちに対する無愛想は、特筆すべき酷さであった。1997年のファンシー・ショップ店主マルオのようなニコニコ顔は見たことがない。

 どうせ子供など、客とはいえ自分で稼いだ金ではないし、愛想よくしなくても来た以上必ず買うだろうし、万引きも多かったろうが、それにしても「いらっしゃい」の一言すら言わない。そういう意味において、ジジババのババは伝統的、正当派の菓子屋のバアさんと言わねばならない。

 それに比べて、お使いで八百屋さんにや魚屋さんに行くのは楽しくて、「まいど」とか「はい、ありがと」というやり取りが子供との間でもあった。それから、実家に酒や味噌や食塩(当時は専売制だった)を配達に来てくれた酒屋の青年は、「サザエさん」に出てくる三河屋さんと同様、元気で明るく礼儀正しい立派な若者であった。彼の印象はコンビニ時代のケンヂと重なるところがある。

 
 さて、しかし、ヴァーチャル・アトラクション内のヨシツネは、そのような思い出に浸っている余裕もない。いきなり、どこからか自分めがけて、泥ダンゴが数発、飛んできたのだ。投げ手はなかなかコントロールが良く、初球はヨシツネの後頭部に命中している。さすが温厚なヨシツネ隊長も怒った。

 「やめんか、誰だ」と叫んで立ち上がり、団子が飛んできた方向をみれば、この原っぱにも、あの秘密基地と同様、草で結った基地らしきものがあるではないか。そこに隠れているのはわかっているんだ、出てこい、こらあ、お前かあとヨシツネは怒鳴りながら近付く。少年が一人、地面にうずくまっていて、「ごめんなさい」を3回も繰り返した。横縞のTシャツを着ている子であった。


(この稿おわり)



日露戦争時の久松五勇士は、宮古島からこの海を渡り石垣島に至った。
(2012年7月10日撮影)
































































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