森見登美彦氏、直木賞に敗北する。

 夜行


 昨日、森見登美彦氏は京都駅の新幹線ホームに立っていた。
 ボーッとしていると、声をかけてくる人があった。
 誰かと思えば本上まなみさんだった。
 登美彦氏は驚いて「うわ!」と言った。
 本上さんは笑っていた。
 「これから東京ですか?」
 「今日は直木賞の選考会でして……」
 登美彦氏が言うと、本上さんは「ああ!」と察してくれた。
 それにしても新幹線で本上さんと偶然会うなんて初めてのことである。
 「これが直木賞のチカラか!」
 登美彦氏はそう思ったのである。


 待ち会は文京区某所の某中華料理店の二階で開かれた。
 まるで親戚の家みたいな心地よいところである。
 やがて五時を過ぎると国会図書館の元同僚や各社の担当編集者の方々が集まってきて、みんなで美味しい中華料理を食べた。聞くところによると冲方丁さんもどこかで待ち会をしているらしい。どんなところでやっているのだろうか、冲方さんも同じ緊張感を味わっているのかな、などと考えながら登美彦氏はウーロン茶ばかり飲んでいた。
 登美彦氏が直木賞の候補になるのは二度目で、一度目は『夜は短し歩けよ乙女』で候補になった2007年のことだった。あの頃、登美彦氏はまだ国会図書館の関西館に勤めており、直木賞の候補になったといわれても実感がなかった。だから「待ち会」のようなオオゲサなこともしなかった。しかしあれから十年が経ち、せっかく二度目に候補になったのだから、噂に聞く「待ち会」というものを経験してみようと思ったのである。
 それにしても電話を待つのはイヤなものである。
 落ちるのなら落ちるので全然かまわないのだが、落ちましたとハッキリ言われるまでは落ちていない。なんだか自分がシュレディンガーの猫的な宙ぶらりんな存在になったかのようである。そうそう、こんな感じだった――と登美彦氏は十年前のことを思い返した。
 そして七時過ぎに電話が鳴った。
 まわりの人たちがシンと静まり返る中、登美彦氏は電話を取った。

 
 待ち会は速やかに残念会に変身し、午後九時に散会となった。
 そこから先は、登美彦氏と『夜行』担当編集者ふたりの残念会となる。登美彦氏たちは待ち会の参加者たちに見送られて東京駅へ向かい、午後十時発の寝台列車サンライズ瀬戸」に乗車したのである。
 サンライズが走りだすと東京の街の灯が遠ざかった。
 担当編集者がシャンパンを開けた。
 ふたりはこれまでに出かけた旅の思い出などを語りつつ、シャンパンを飲みながら夜の底を西へ走っていった。彼らは幾度も寝台列車に乗って旅をしてきたが、今回の旅の味わいはまた格別なものだった。
 熱海を通りすぎ、浜松も通りすぎた。
 異世界のような夜がどこまでも続いていた。
 担当編集者が車窓を眺めながら、
 「本当に『夜行』の世界ですね」
 と感に堪えぬように言った。
 車窓を流れていく街の灯を眺めながら、シャンパンを飲むのは素晴らしい。『夜行』を読まれた方は、ぜひ一度サンライズにご乗車されることをおすすめする。
 「今日は充実した一日だった」
 と登美彦氏は思った。


 翌朝、登美彦氏と編集者は岡山駅で降りた。
 サンライズ瀬戸は京都に停車しないのだからしょうがない。
 まだ夜明け前の薄暗い街をさまよい、ようやく見つけた喫茶店「ポエム」でモーニングセットを食べた。編集者が棚から取ってきた朝刊には、すでに恩田陸さん直木賞受賞のお知らせが掲載されている。どうして自分はいま岡山の喫茶店の片隅にいるのだろうと不思議な感じがする。登美彦氏はシャンパンの飲み過ぎと睡眠不足であくびばかりしていた。珈琲を飲んで暖まっているうちに岡山の空は白々と明けてきた。
 「岡山を満喫した」
 「満喫しましたね」
 「それでは奈良へ帰るとしよう。このサンライズの切符は落選記念として大事にする」
 「いずれまた」
 「いずれ……あるのかなあ」
 彼らはそのまま東へ取って返した。
 編集者は新幹線で東京へ。
 登美彦氏は新幹線で京都へ、さらに奈良へ。


 そういうわけで登美彦氏が自宅へ帰り着いたのは午前十時だった。
 へろへろで帰ってきた登美彦氏を妻が迎えた。
 「おかえりなさいませ」
 「落ちてしまった」
 「敗北するのもお仕事ですから」
 「……そうとも。そして日はまた昇るサンライズ!」
 「おつかれさまでした。お風呂が沸いてますよ」


 恩田陸さん、受賞おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。

 
 蜜蜂と遠雷