投票とは現状に対する不満を見つめる行為

8月30日の投票日まで、今日を含めてあと5日となった。連日のように激しい選挙報道を目にする。

報道各社は、先日の世論調査において民主党が300議席を超える勢いであると報じた。いくら何でもそれはない数字だろうと思う。僕の予想は民主270議席程度である。勿論これは僕の体感予想であり、根拠のある調査をしたわけではない。

しかし270議席であれ、民主は今の議席の倍増となるのだから完全勝利だろう。一方、いくら落ちぶれたといっても自民は第一党なのである。地方組織まで整っているし、何より資金力がある。甘く見てはいけない。

身近な人々に話を聞くと、年代が上がるに従って民主党の支持色が現れるように思う。逆に若い人ほど自公を支持している。

年配の人々の民主支持の理由は、やはり後期高齢者医療保険年金問題など、これまでの自公の政治に辟易としたからだろう。彼らには今まで支持してやったのに裏切られた、という思いが強いのだろうと思う。またこのままではますます現状は悪くなると危惧している。

一方の若い人々は、民主のマニュフェストを解説する報道番組等に影響されるようだ。それら番組等で、高速道路通行料金無料化や消費税の4年据え置きなどを批判していたらしく、番組に出ている政治評論家などの意見をそのまま鵜呑みにしている人が多く思う。彼らは民主の政策はバラマキで財源の担保がなく、将来に負担を押しつけるものだと思っている。現在1,000兆円を超えると言われる日本の借金は、全て自民中心の政権によるバラマキの結果であることなど一顧だにしないあたり、彼らの若さを感じる。

また先日、あるラジオ番組で竹中平蔵氏が出演していたのを聞いたのだが、その中で竹中氏は「既に政権交代は終わっている。今の自民は改革を否定しているし、民主も改革を行おうとはしていない。つまり反改革派が既に政権をとっているのだ」という内容を話していた。録音していないので正確な言葉は失念したが、大意は間違ってはいないと思う。

小泉竹中改革は頓挫したと自ら言っているようなものなのだが、ここで竹中氏の言う「改革」というものは言葉のロジックである。体制側から見て「改革」と呼べるものは、反体制側から見ると「改革」とは見えないし、その逆もあり得る話である。どちらの立ち位置にいるかで意味が180度変わる。

だから「改革」などという言葉を、唯一絶対的なもののように使う輩には注意をしなければならない。竹中氏の言葉の中には斯様なロジックが散りばめられていて、経済の専門家ではあるのだろうけれど、言葉に関しては低いレベルの人なのだろうと思う。また意識的にやっているのなら、それは詐欺師の手法である。

年配の人々が、自公より民主を支持している理由は、その多くが小泉竹中時代に行われた「改革」に騙されたと感じているからである。現状に大いに不満があるからである。小泉竹中が「改革」と呼んでいたものは、国民から見ると「改革」ではなかった。小泉竹中以降の安倍・福田・麻生等の政権も、それらを目眩ましにする程度の存在だった。誰も本当に国民の目線に立とうとはしなかったと見破られているのである。

その国民の思いは世界の潮流とシンクロしている。例えばアメリカがブッシュの共和党からオバマ民主党に変化したように、保守主義の反動が出てきているのである。特にブッシュ共和党に近かった国ほどそうなっている。イギリスもブレアは退陣を余儀なくされ後任のブラウンも後がない。先日の世論調査を見て、その流れはようやく日本にたどり着いたと感じるのである。

8月30日の選挙に於いては、基本的に自公と民主という2大政党の激突になる。与党に関しては過去の実績を検討し、野党においては将来の為のマニュフェストを検討するのが正しい思考方法である。現状に満足していれば与党に票を入れればよく、不満なら野党のマニュフェストを検討し納得のいく政策を持っている野党に投票するということだ。

今の日本を取り巻く状況は思っているよりも厳しい。世界同時不況で最も株価を下げたのは実は日本であり、北朝鮮への6カ国交渉でも常に蚊帳の外である。国内でも国民の生活はますます厳しさを増し、凶悪な犯罪や自殺数が増加している。一部の犯罪は隠蔽され、一方で冤罪は後を絶たない。政権を替えることに躊躇する気持ちは理解できるけれど、替えるなら機は熟しているのが今だろう。

3月の小沢一郎公設秘書逮捕時に、テレビ番組に出演した田中真紀子が、このような事件があってもなお小沢一郎を支持するかどうかで「日本人のマチュア(成熟)が問われる」と言っていたのだが、その総仕上げが8月30日の選挙で問われるのである。